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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

無明を破るきっかけは「実体論」 - 十二因縁(12)

(前回

今もわれわれは転生しつつ - 十二因縁(11)から続く)

 

わたしたちが冥想してこころを清らかにしたいというところで、きっかけになるのは、物があるという実体論なんです。

これどうしようもないんですよ。眼に何か触れなきゃ見えないんですよ。触れたところで頭の中で、幻覚を作るんですね、見えたという。

 

見えたところで、「あ、これは有るんだ」と、花が見えたからあると思っちゃうんです。

すごく違いますよ。

 

花から反射する光が眼にぶつかっただけで、それはすぐに消えているんです。

光にはそんなに長い命がないんです。ぶつかったらそこで消えているんです。消えているんだけどその代わりに、こちらに電気信号が生まれているんです。光が電気信号になっちゃって、電気信号もたくさんまとめて脳に送ると、脳の中で変化が起こる。脳の中に起きた変化が「見えた」ということにする。

 

だから何が見えたのかは、知ったことじゃないんです。

 

そういうことで、わたしたち普通の人間の気持ちから言えば、聞こえたということは「有る音」なんです。物が有る、という錯覚に陥っているんです。

それも結局は無明の一つの仕事なんです。物が有る、と。

 

それで観察してもらうんです。

観察してください、思考をやめてくださいと。

思考はすべて幻覚ですから、やめられませんがやめようと頑張っちゃえと。

それで頑張って観察する。

 

何か見えたら、「花」と思わずに、「見える、見える」と観察する。

それで集中力が生まれてくると、見える、見えると言うほうが正しい、とわかる。

 

音の場合も、「音、音」と言いつつ、次に耳の観察をすると、耳に何か触れる、触れる、と感じますよ、集中力があったら。

耳に何か触れちゃう。何か感じるんですね。

耳元で何か感じる、感じる、と実況していくと、もう波長でブンブン、ブンブンと、触れて、触れて、触れて、という感覚を感じるんです。

 

「あ、音がないんだよ」

とわかる、そのとき初めて。

音じゃなくて、感覚だと。そこをまとめて一束にして音にしている。そこで煩悩が生まれるんだと。

 

そういうところで、いたるところに因果法則が働いています。

(次回は最終回です

ケーマー長老尼 - 十二因縁(13・最終回)

 

スマナサーラ長老法話・関西月例冥想会 2013.12.15

https://www.youtube.com/watch?v=4vsnfGBmmrg を聞いて書きました。

The Sound (English Edition)

参考外部サイト:

仏教講義 22.智慧ある人は愉しんで生きる(2)相対論

大きい・小さい、高い・低い、美しい・醜い、上手・下手など、すべてのものは相対的に成り立っています。しかし私たちは相対的ということを知りませんから、何に対しても固定的、実体的に「有る」と錯覚し、わかったような気持ちでいるのです。

 

 

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