ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

道場 - 親の介護が辛くてしようがない(2)

前回 

親の介護が辛くてしようがない(1)

 

結婚にしたっても同じことです。

業が絡んでいるんです。お互いの貸し借り状態に合わせて、夫婦生活は喧嘩ばっかりになったり、いろいろ仲良くするんだけどときどき喧嘩したり、一度もケンカにならなかった夫婦もいますよ。

 

そういうことで、われわれは、生命誰だって、特に人間は人間と付き合わなければいけない。

その場合は、一人一人の付き合い方が変わるでしょう。子供が何人もいたら、同じ父親母親であっても、平等じゃないんですね。それぞれの別々な関係が生まれてくるんです。それは業の関係なんです。

 

長男と父親の業の関係が生まれる。

長女の業と父親の業の関係に合わせて、そちらに関係が生まれる。というふうにあらわれてくるんです。

 

その関係が良ければみんな調子に乗るんだけど、関係が悪ければ、「なんだこれは」と落ち込む。

それは物事がわからないから仕方がないかもしれませんけど、これから真理を教えますから、もう仕方がありませんとはいきません。

 

法律は、われわれは法律家じゃないからほとんど知らないでしょう。

知らないからと言って法律をやぶっていい? 

「その法律は知らなかった」と言ったら、逃がしてくれる? 逃がしてくれませんね。

法律を知っているかどうかは関係ありません。

 

宇宙の法則は法則ですから、知っているかどうかに関わりなく、業が働いています。

知っている人は結構便利です。自分で管理できる。だからこの質問の答えとして、業の関係を理解してください。

 

質問者の方は、お母さんには、今世だけじゃなくて過去世でもいろいろとお世話になりまくっちゃって、正しくおんがえしをしなかったということがあったかもしれません。

借りたものを今お返ししているんだというふうに思ってほしいんです。

それが一つのポイントです。

 

それから、ご自分の精神状態が、ものすごく落ち込んでいますからね。

疲れていますしね。逃げたら、これは解決しません。母親の面倒をみることによって、自分が忍耐のあるめげないしっかりした精神を育ててみるんだと、思ってください。

 

分かりやすい言葉で言えば、これは「道場」なんです。

今、自分が修行中です。お世話が必要な人間がいる。それは自分の母親だから、逃げることは不可能です。施設を探しても見つからない。「こういうところに入れたくない」という気持ちも生まれてくる。そういう気持ちが生まれたっていうことは自分でお世話しなくちゃいけないということなんです。

 

道場に入ったならば修行しないと苦しいんです。

仏道の道場も同じなんですよ。道場に入って、「ご飯食って寝てやるぞ」と思うと地獄にいるような苦しみを感じる。道場に入った人が、朝三時に起きて、ずっと修行して、夜の11時くらいに寝て、すごく気持ちいいんです。

 

すべて道場で決まっているしきたりを守って修行すると、ものすごく気持ちいいんです。苦しくなくなっちゃう。さぼろうとしちゃうと、最悪なんです。

 

だから憶えてほしいポイントは、「わたしはいま、道場に入っている。二十四時間修行しなくちゃいけないんだ」ということです。

 

修行とは、いかに落ち着いて明るくいるのかということ。俗世間の修行だからね。

クタクタ疲れると思いますよ。すごくわがままな母親というのは、親子関係で成り立ったものだからね。このおばあさまがすべての人間に対して恐ろしくわがままではないと思いますよ。自分の娘に対して、そういう態度をとるんです。これは仕方がない。業の関係なんです。

(続きます

修行が始まった - 親の介護が辛くてしようがない(3)

 

東京法話と実践会 2016.07.24

http://www.ustream.tv/recorded/89905720 (期間限定公開)を聞いて書きました。

Parental Guidance: Long Distance Care for Aging Parents (English Edition)

参考外部サイト:

(10) 植物人間1:生の定義(2001.6月)

「生きることはいかに無意味で、無念で、苦の続きであるのか」と観察しながら看病をすると智慧が発達して看病する人を解脱へ導かれますからこの上無い有り難いことです。寝たきりには生産力がないから「何で生きているの?」と思うこと自体があまりにも間違いです。……

(ページ中程より抜粋)