前回
両親の面倒をみることが、すごく善行為なんです。
仏教の物語の中では、親の面倒をみるために自分の人生がすべてなくなっても、構いません、というところまで語られてはいるんです。ジャータカ物語とかいろいろありますよ。
親がちょっと自由がなくなりまして、介護しなくてはいけない。そこで菩薩が、菩薩っていうのはジャータカ物語に出てくるキャラでブッダの前世のことですからね、自分の仕事をやめて親の介護をする。
これはジャータカ物語のストーリーかわからないんだけど、菩薩がある王様に生まれて、母親が寝たきり状態で。そこで、母親の面倒は国王がすべて自分の手でやる。国を治めることもしますけど、ものすごく早く起きてお母さんを洗ってあげて、きれいな服を着させてあげて、ご飯を食べさせてあげて面倒をみてあげて、「ちょっとよろしいですか」と聞いてから、国の仕事をする。
その途中でも、お母さんにちょっと問題があれば、玉座から降りてきてそこは先にやる。王様として国の政治をやるよりも、自分を産んだ母親の面倒をみることが大事だと。それで国がハチャメチャになるかというとそうじゃなくて、みんなびっくりするんですよ、大臣たちも。なんていう人でしょうか、と。じゃあわれわれも頑張らなくてはいけない、と周りがやってくれるんです。
そういう物語がありますね。
だから両親の面倒をみるチャンスですよ、これは。チャンスという言葉は失礼です、両親に対してはね。介護する側は、これは修行するチャンスだと。人格を向上する機会であると、気持ちを変えてほしい。
気持ちを変えると肉体的な問題は、ものすごく緩和します。力が出てきます。わたしの身体が持たないというのは自我であって、持ちますよ。人を助けることになってくると、それは業だから、この体にこんなに力があったのかと自分でも不思議になるほど力が出てきます。それは心配する必要は無いんです。
困るのは、自分のこころ構えなんですね。
それから、現代日本社会のことを考えれば自分も一日くらい休んだ方がいいし、公のほうでもいろいろとやってくれるところがありますからね。一週間のうち数日預かってくれるところもありますね。デイサービスとかね。そのときは、自分が思う存分、休む。
そういうふうに、自分の体を休ませる工夫をするのは構いませんよ。
でもそういうものも、あれば使うんだけど、これはわたしの道場であると、わたしに朝から晩まで、次から次へと宿題が出されているんだと。
(続きます
最高の修行は忍耐・忍辱(にんにく)- 親の介護が辛くてしようがない(7・最終回) )
東京法話と実践会 2016.07.24
http://www.ustream.tv/recorded/89905720 (期間限定公開)を聞いて書きました。
(ジャータカ物語のスペイン語版)
関連書籍:
老いは楽し (スマナサーラ長老の悩みをなくす7つの玉手箱 2)
- 作者: アルボムッレ・スマナサーラ,Alubomulle Sumanasara
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2008/11
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (3件) を見る
だれでも歳をとる。
老いを最高の幸せに変える裏ワザ。 (「商品の説明」より)