前回
ブッダの言葉では、Khantī paramaṃ tapo titikkhā,(カンティー パラマン タポー ティティッカー)という言葉がありますね。
それはすべてのブッダたちの言葉であると言われている、真理そのものなんです。
意味は「最高の修行は、忍耐・忍辱(にんにく)である」と。
修行の中でランクがありますから。最高ランクの修行というのは、忍耐なんです。忍耐の修行と言うのは、お釈迦様が、生きることは学校であるという立場で語られているんです。だから、二十四時間、生きるということは、瞬間、瞬間、何か問題が出てくる。何か気に入らないことがある。何か腹が立つことが出てくる。何か誘惑されることが出てくる。
そこで、瞬間、瞬間、一分、一分、忍耐を修行すると、それが最高の修行で、それで解脱に達します。
特別冥想しなくても大丈夫です。それが冥想になるんです。
寝たきりの人として、自分に宿題が出てきたら、忍耐することはこの上のないチャンスなんです。いつでも忍耐しなくちゃいけない。いわゆる「それほど気にしない」という対応をする。忍耐というのはそういうことなんです。
寝たきりの人が、身体が汚れてしまったら、「ああ、なんて嫌な……」ではなくて、「まあいいや、洗ってあげればいいんだから」と、そこで忍耐・忍辱という二つを実行する。
特に介護の場合は、忍耐・忍辱が見事に出てくるんですね。
忍耐というのは自分の心がまえ。忍辱は、相手が攻撃してくる、世界が攻撃してくるという場合は、気にしないで対応する。
世界が攻撃するケースを憶えておいてください。
自分が悪いことをしたら世界が攻撃するでしょう。それとは違います。
介護の場合は、自分が面倒をみているのに母親が怒っている。怒る必要はないんです。感謝ぐらいしたらどうですかと言いたいところですけど。でも、そうしてくれない。お医者さんの指導の下に、体にいい料理を作ったのに、「こんなのは食べられませんからね。お前はわたしを殺す気ですか」と攻撃する。
それは介護する自分に何の落ち度もないんですね。
でも、世界(この場合は母親)から攻撃される。そのとき、「忍辱」という言葉なんです。忍耐は自分のほうの修行です。
その二つを頑張ってください。
本物の道場で、最高の修行ができるチャンスなんです。想像を絶する幸福になります、結果として。
(おわり)
最初から読む:
親の介護が辛くてしようがない(1) - ブッダ・ラボ - Buddha laboratory
東京法話と実践会 2016.07.24
http://www.ustream.tv/recorded/89905720 (期間限定公開)を聞いて書きました。
(犀のレミー、忍耐を学ぶ)
参考外部サイト:
http://www.j-theravada.net/qa/gimon80.html
Q: 仏教で忍耐を説いていますが、嫌なことを ガマンすると怒りになってしまうのではないですか。
A: 嫌なことをガマンするのは怒りですね。それは 忍耐ではないんです。だから「ガマンする」と いうことは、厳密に言えばよいことではない……