ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

周りに嫌な人がいます

質問

「職場で嫌な人がいます。なるべく、『その人が正しいと思ったことを言っているだけだ』と考えるように自制しているのですが、それでよいでしょうか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

いいと思いますよ。

その方が、何かちょっとウィルスに感染しているんだと。

お釈迦様は怒りを「病(やまい)」と仰っています。

 

質問者「怒っているほうが正しいのだという職場の雰囲気もありますが……」

 

それは、ご自身が素直で謙虚で自我を捨てていれば、なんのこともないんです。

ご自分の自我もありますからね。「あいつは怒っているんだ」と言ったとたん、自分の自我でしょう。自我がなければ、ギャーギャーと言われてもそのまま受けられます。自分の間違いを責めているなら、「そういえば間違っているんだ」と、間違っていることを教えてもらってありがたい気持ちになるはずですよ。自我がなければ。謙虚な人間ならば。

「ありがとうございます、教えてくれて」と。

 

それで、向こうの怒りも消えてしまうし、「こいつはいいやつだ。素直ですぐに物事を憶える人だ」と思われる。

 

だから、本当は直すべきは自分であって、相手ではないでしょう?

自分が自分の自我を捨てて、謙虚で、何者でもないと。いろいろ言われること自体が、自分がツイているんだと。

 

お釈迦様は、「スワチョ―」と、言われやすい人間になりなさい、と言っています。

言われやすくなるためには自我を捨てなくちゃあかんでしょう。

「俺」という考えを。なんでもない、何者でもないんだと、ただ考えたり動いたりしている、ただの組織だけでしょう。

 

だから、言われたほうがその組織により正しく動けます。

言われなきゃわからないんですね。生きるということは、世間に合わせるということでもあるでしょう。会社で働くことは会社という社会に自分を合わせることでしょう。だから自我があったら困るでしょう。

 

家族という社会に合わせなくちゃいけない。

電車に乗ったら、乗客という社会に自分を合わせなくちゃいけない。

会社に行ったら会社に自分を合わせる。会社でいろんなところに異動させられると、それでまた社会が変わっていくんですよ。それに合わせることが生きることでしょう。

 

だから初めから自分がいると困れるでしょう。

ある型でできた自分がいると、周りにどうやって合わせるんですか。

 

同じ会社で異動すると、社会が変わっちゃうでしょう。

それでその社会から言われたとおりにやらなくちゃいけないんですね。「わたしは以前あの部署でこういうことをやっていたんだから」と言っても、もう異動したんだから。

 

直すのは自分であって、世界ではないんです。

周りが怒っているんだ、という場合は、問題は自分にあるんですね。「そう思う」自分に問題があるんです。自分がどこかで頑固で固いんですね。成長しない。

 

成長しなくて、固くて、相手は形を変えようとしてくるんだけど、なかなか形にならないんですね。長すぎ、短すぎ、いろいろあります。

 

だからどんな入れ物にもいれやすいように、自分が形をもともと持たないほうがどこ行ってもぶつかりっこないんです。

 

せいぜい言うのは、悪の形に入るのは断ったほうがいいんですね。

世の中で悪を犯して幸福になるわけじゃないでしょう。そんなのは決まっている。違法行為で幸せになるわけじゃないんだから、そういう型に自分をはめようとするのだけハコタわります。

 

そのときだけ、頑固になる。

ほかは頑固になる必要はなくなっちゃうんです。

 

もし、悪の人々が強引に誘ってくるときだけ、「やりません」ときっぱり断る。

そういう機会は少ないと思いますよ。

それ以外は自分はないんですね。形はありません。

 

その場所その場所で、相手によって形を変える。

人はいつでも誰かと一緒にいるんだからね。

 

みんな困るのは、「人に合せるばっかりで、いつ自分に気づくのかい?」ということでしょう。しかし、初めからないものだから、そんなのは。本当の自分は。

 

どうしても本当の自分に気づきたければ、二日間くらい誰ともしゃべらないで一人でいてみてください。

全部ビデオに撮って、どんな人間かと。

そうやって本当に自分に会いたいんですかね? 結局は友達と話したいでしょう? 家族と話したいでしょう? 外に出たいでしょう。

 

そこで楽しみが生まれるでしょう。

二日間くらい引きこもっていると、明らかにだらしなくて、なんの役にも立たない自分でしょう。それが本当の自分なんです。一度たりとも会いたくない自分なんです。

それを世間では「自分探し」をしているんですね。

 

全部あべこべ。

ブッダの話を聞いてください、世間の言うことではなくて。全部あべこべなんです。

 

そういうことで、周りが怒っている場合は、自分の自我を捨てて見てみると、何か自分の欠点があって、それで気に入らないんですね。

それを直せばいい。

 

だから自我を捨てると自分が成長するんです。

お釈迦様がおっしゃったように「誰にも合わせる必要はなくなりました」と。合わせるべき自分も消えました、と。

 

それはもう、ちょっと超越したレベルですけど。

 

わたしたちは、まだまだ生きているんだから。

生きていきたいと思っているし。長生きしたいと思っているし。だったらまあ、自我を捨てて、自分がいないことにして、その都度、社会に自分を合わせる。

 

そういうふうに自己管理も欠かせないということで、終わりです。

(終わり)

 

<「手放すことが生きること」スマナサーラ長老との対話(2012年12月09日)

https://www.youtube.com/watch?v=xL37dMGnF9E を聞いて書きました。>

 

一生、仕事で悩まないためのブッダの教え: シンプルに考える、自由に生きる (知的生きかた文庫)

参考外部サイト:

仏教講義、17.人とのつきあい方-(1)無常が幸福に転換する(No83)

お釈迦さまに「あなたはエゴイストですよ」と言われても、嫌悪感を感じる必要はないのです。実は、悟らない限り、私たちはエゴイストになってしまうプロセスの中にいるのです。なぜならば、必ずエゴが成り立ってしまうメカニズムがこころの中にあるからです。それは認識のメカニズムです。……