ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

みんな ″origin″ を探している

Origin(オリジン)って言っても、オリジン弁当のことじゃないですよ。(長老ギャグを真似しました)

 

わたしたち人間というのは、思考の癖で、origin(おおもと)を探してしまうのだそうです。

スマナサーラ長老のたとえ話によると、

 

たとえば、針金と紙でちょうちんをつくれる。そこで確実にちょうちんは存在すると思い込む。ちょうちんのお母さんは? いるわけないでしょう。組み立てた現象が実態であるという錯覚が起こる。そこで根本を探している。originを探している。

ということです。針金と紙の複合体をちょうちんと名付けているだけで、ちょうちんというものは存在しない。さらに言うと針金と紙も然り。

 

われわれはデータを合わせて画像を作る。しかし物事(データ)を合わせたことを忘れている。そこで画像が本当にあると思い込んでしまう。人がいるということは現象、幻覚。わたしのこころがどんなデータを組み合わせたかと調べなくてはいけない。

これを別の言い方でもおっしゃっていました。

われわれは何を聴いても間違って認識する。ありのままではない。ねつ造されている。見たもの、聞いたものをねつ造する。ねつ造が本物と思って「ねつ造のお母さんはどこですか?」と。

いるわけないでしょう。

 

そして、キリスト教義の天地創造説を一つの例として出されていました。

最初に二人の人間をつくって、そこからすべての人間が生まれたのならば、近親交配で三代目で絶えてしまうというのは今や常識です。

それにもかかわらず、創造説を捨てられない。

そういうことで、みんな間違った方向でoriginを探しているそうです。一番最初に何があったのかと。

 

しかし、「お釈迦様は origination を発見しました。」スマナサーラ長老。

Originationというのはプロセスです。

どうやって生まれて消えて、生まれて消えて、となるのか。

 

originの意味は名詞で「おおもと」ですが、origination というと、originate(生じる、起こる)という動詞が名詞化されたものです。そこで意味は長老がおっしゃったようにプロセス(生じていること)になります。

 

まず、Originとしての「お母さんの名前は?」と聞くと「誰々です」と答えられます、というたとえ話をおっしゃっていました。

たとえばみなさまに「お母様の名前は?」というと答えられるでしょう。しかしそれは間違いです。

今現在ここにいるあなたを産んだのは誰ですか? 誰も産んでいません。

今ここにいるのはいろんな結果の一時的な結果です。

誰々のお母さんというのは世間的に言うだけの話ですが、われわれいつでもねつ造世界にいるから、その通り「誰々のお母さん」だと思ってしまう。

 

次に、origination としての「お母さん母は誰ですか? 」問題。

そこでoriginationなんです。

今ここにいる私には母はいないんです。72年前に女性がある赤ちゃんを産んだかもしれませんけど、それがこのわたしではないんですね。

物事は変化して変化して、ある流れが生まれています。流れというのはあるプロセスです。だからoriginationならあります。出生証明書から、今ここにいるという流れを言えます。

それはoriginationであって、originではありません。

 

 《スッタニパータ5彼岸道品3学生プンナカの問い》の1049(PTS.1043) お釈迦様が語っていた (間違えました。ここではプンナカさんが語っていました。偈の日本語訳は、

プンナカさんがたずねた。

「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王室やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのですか? 先生! あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

ということで、プンナカさんが、覚った人と評判のお釈迦様にいろいろと質問しているのが今回の経典です。以上、訂正と補足でした。)

 

mūladassāviṃ(物事を知っている)というのは、「存在の秘密を発見した、originationを発見した」という意味だそうです。

仏教用語で言うと、「縁起を発見した」ということでしょうか。

中村元先生の訳では「根本を達観せられた」となっています。

 

わたしたちの「originを探す思考の癖」がねつ造を本物だと思い込ませているのでしょう。

「そうではなくてoriginationを観よ」というのは、おおっ?!と思いました。

 

これで、今回の経典解説《スッタニパータ5彼岸道品3学生プンナカの問い》について気になったところはすべて書けたと思います。

全部で5回のブログ記事になりました。

  1. パーリ経典解説《スッタニパータ5彼岸道品3学生プンナカの問い》
  2. もう一つのbrūmi(ブルーミ)《パーリ経典解説 学生プンナカの問い》
  3. 冥想を頑張る人が陥る悩み

  4.  なぜ人は祈るのか?

  5. みんな ″origin″ を探している