ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

日常的に『つまらないな』と感じることが多くなりました(後編)

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日常的に『つまらないな』と感じることが多くなりました - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

 

たとえば、公園を掃除すると楽しみが生まれます。その楽しみは、体にいいし、社会にもいいし、みんなが喜んでくれるし。体力を使ってクタクタになっても、疲れよりも喜びを感じるんですね。

 

ですから、いい方向へ楽しみを感じるということは欠かせない大事なポイントです。

楽しくなければ何もできません。

子供にしても、勉強が楽しくないと、やる気にならない。勉強がつまらないと感じた子供は、勉強をやめて遊びに行きます。どこかで楽しみを探しています。

われわれがやることは、ゲームより勉強したほうがえらい楽しいよと、その道を教えてあげることです。「勉強しろ、宿題しろ」ではないんです。「これって超面白いよ」と。

 

教育的にはあまり子供を褒めてはいけないという考え方もありますが、あまり褒めなくても、正しく褒めれば。

たとえば子供が絵を描いたら、「すごい、あなたは有名な画家になれる!」と言うんじゃなくて、「ここはどういうこと?」と質問してみる。

とても昔、小さな子供がわたしに絵を見せに来ました。傘を差した人が雨の中に立っている絵。その上から、その子は黒で全部塗ってしまった。

「この黒色で、傘を差した人が見えないけど、この黒は?」と聞くと子供は、「あ、それは雨の音!」

すごいでしょ? そういうことかと、本人も満足、わたしも何も問題がなく。

絵の先生だったら、「こんなことやっちゃダメ」と言うかもしれない。そうすると子供はそれ以上進まない。

そういうことで、楽しみがないと物事は進みません。ご飯がおいしくないと箸が進む? 進まないでしょう。

 

お釈迦様がおっしゃるのは、世の中はみんな自己破壊的な依存症でいるんですね。

自己破壊的になると楽しみ依存症になります。だから、自己破壊的に行くなよと。

 

スポーツは普通なら自己破壊的にはなりませんが、スポーツで自己破壊する人もいます。

スポーツだけじゃなくて、頭を使う将棋などもあるでしょう。そればかりやって大人になると他の事ができない大人になってしまう場合もあります。論理学をやることも頭のしげきになりますが、そればっかりやってしまうと屁理屈な人間になってしまいます。

そういうふうに、俗世間では[楽しむことで]相対的によいこともあるという程度です。

音楽などもそればかりをやっていると日常生活との両立が難しくなります。そうするとバランスが崩れてしまいます。他人の助けなく生活できる自立した人間にならないんですね。

 

お釈迦様は別の楽しみに入れ替えていくんですね。

五戒の初めは、殺生しないこと。殺生しないだけではなくて、わたしと同じようにみんな生きていきたいと思っているんだと、どんな生命を見ても一生懸命生きているんだとみるとすごく楽しい。アリ一匹見ているだけでも楽しい。アリの大きさを考えると、アリが動くスピードはフェラーリ並ですよ、アリにとって。ときどき、「おまえ、迷子になったらどうするのかい」とわたしは心配したりもする。

 

そういうふうに、殺生戒から生命を慈しむ気持ちが出てくると、どれほど楽しみがあるんですかね。

どれほどの生命がいるんですか、この世の中で。欲も怒りも嫉妬もない清らかなこころでいる。その人はどんな罪も冒さないのだから、まわりも素晴らしい人だと認めるし。自分がいること自体で、まわりに対して穏やかな雰囲気を作ってあげる。そういう素晴らしい楽しみ、よい楽しみを選んでやらなくてはいけない。これをお釈迦様はリストアップして教えているんです。だから、五戒を守ることから、喜びを感じてほしい。

 

少し頭を使わないと、戒律から喜びが生まれてきません。

これはお釈迦様の完全なるプログラムです。殺生戒から限りない喜びを感じるためには、智慧が、観察能力が必要でしょう。だからその道で完全たる人間が作られます。解脱に達する人間が作られます。ブッダのメソッドは、完璧、完全だと、お釈迦様は厳しく言います。「だれにもこんなことは教えられません。如来だから教えられることです」と。

その道をやってみたら、喜びが生まれてきます。

 

俗世間の人がそれを理解するのは難しいかも。

金儲けが楽しいのに、子供と遊ぶのが楽しいのに、と。

でも、その道により良いものはあります。

 

そういうことで、こころには楽しみを感じるというファクターが欠かせないもので、これをわたしが言うのは、「楽しみは脳みそとこころの栄養だ」と。

仏教ではそのような言葉がありませんが、わたしは皆様に理解してほしくて使う言葉です。仏教では栄養について別に説かれています。

(参考:食事と解脱の関係

http://www.j-theravada.net/howa/howa197.html )

 

日々楽しく生きてみる。怒るなよと言うのは何のため? 怒るのは楽しい? 楽しくないでしょう。嫉妬するのは楽しい? 楽しくないんです。自己破壊するんです。

 

嫉妬する場合は、同じレベルの人間二人ですね。そこで相手をうらやむことで、嫉妬が生まれ、自分がさらに後退します。その代わりに、自分の仲間だからと喜んだらいいでしょう。「一緒にいた仲間が成功して嬉しい」と、そうすると、仲間も、本人も楽しい。

 

そういうふうに実践してみてください。

仏教は人に迷惑をかける教えではありません。幸福を教えています。精密で科学的な本物の幸福を。

 

だから、本物の幸福でないものを明確に教えている。

たとえば、「いつまでも若々しくいたい」といっても、物は無常だから誰にもその法則を変えることはできません。

人々は美容を楽しむ、若さを楽しみますが、そうではなくて、別に素晴らしい無量の楽しみがありますよと。

自分が美しい体を持って生まれたことに舞い上がって喜んでいると、毎日体は衰えていきます。歳を取っていきます。いろいろな病気にかかってきます。そうするとどんな感じ? どれほどの精神的な苦しみを感じるでしょう。

 

お釈迦様に説かれている幸福学を学ぶ。

「幸福”学”」と言っても、お釈迦様の仰ることをやってみるだけ。

嫉妬しないで、ライバルを助ける。相手の成功を喜ぶ。嫌なものを殺すんじゃなくて、慈しむ。

 

そういうことで、喜びを感じるということをしなくてはいけないんですね。

戒律から初めて、人を助ける、お布施をする、ボランティアをするということで清らかな楽しみを感じて、幸福に生きてみる。それから冥想で、物から離れることの楽しみを味わうんですね。

 

質問にあったのは、ものから離れることの楽しみを味わってない。

だから宿題が足らないということです。テレビを見て楽しむより、テレビを消して静けさを楽しむ。これは訓練しなくてはできません。楽しみを味わう訓練を先に宿題としてやらなくてはいけません。

 

こころには貪瞋痴の楽しみがなくなると、つまらなく感じます。

これはつまらないというより、進めないという意味です。先へ行けない、エネルギーが足りない。そこで冥想が行き止まりになります。

ですから、貪瞋痴の楽しみの代わりに不貪不瞋不痴の楽しみを何とか体験しなくては。人によって性格が違います。なんでも楽しみと感じる人もいます。だから、子供とか若い子には冥想はしやすいんです。若いときは、われわれは必死になって楽しみを探しているんです。そのときに、その子供たちに本物の楽しみを教えたら、パシッと成功します。ビックリするほどの早さで。

 

楽しみが必要というのは、こころの重要なファクターです。

そういうわけで、戒律守ること、お布施すること、ボランティアすること、善行為をすること、あらゆることを考えて、世間では普段やらない、会社では普段やらないことを選んで、確実に幸福の道を味わうんです。

 

冥想は、ものから離れる楽しみです。

ものから離れるとは、依存をやめることです。これはちょっとプログラムが難しい。完全な依存が消えたら解脱です。それにお釈迦様は究極の幸福と言う言葉をつけています。皆様はそのポイントを大事に研究してみてください。何ごとも義務や義理でやらないでください。何も嫌々な気持ちでやらないでください。嫌な気持ちでもやらなくちゃいけないことがあります。そうするともったいない。損するんです。嫌なことでもやらなくちゃいけないなら、そのときは楽しみを探してみてください。楽しくやるぞと。「今はこれをやらなくてはいけないから、楽しくやるぞ」と、楽しみを感じてみてください。

 

冥想中につまらないと出てくるのは、この楽しみが欠けているということ。

静けさを感じる、静けさを楽しむのです。

(終わり)

 

スマナサーラ長老 法話と実践会(ゴータミー精舎)2017.09.10

 を聞いて書きました。

Twitter法話

http://twilog.org/jtba_talk/date-170910/asc

 

カティナ衣法要のお布施リストを、Amazonで個人的に作成しました。

http://amzn.to/2hCYpiF

上の写真のような薬などを、法要に出席のお坊さまにお布施します。

このお布施リストは10月22日(日)まで掲載します。カティナ衣法要は10月29日(日)にゴータミー精舎で行われます。

https://www.facebook.com/events/277192622685514/

 

カティナ衣法要についてスマナサーラ長老の解説

外部サイト・仏教徒が衣を布施する大法要