<前回 【恋愛】三角関係で苦しい(2) >
感覚というのは触れることで生まれるものでしょう。
だから空気に触れるだけで「わたし」が変化しますからね。
情けないでしょう。「わたしがいるんだぞ」と。
もともと、自分というそれさえも成り立たないのに、ただ一時的に出来上がったシステムだけ。
「あれはわたしのもの」「あれがわたしは好き」とかね。
なんだこれはと。
だから気楽で、問題を作らないで、悩まないで苦しまないで、トラブルを起こさないで、対立をしないで、完全な安穏で生きていきたければ、「手放す」ということです。
Let go、なんです。
これはジワジワと実践してみたほうがいい。
たとえ自分の子供であろうが、結婚した相手であろうが、何十年も一緒にいたといっても、自分のものではないんです。
それぞれの生命に、それそれの品物に、それぞれの法則で変化するようになっている。
放っておく。
肉体に執着する恋の世界でも、いつでもそういう手放したくないというところで問題が起こる。
おもしろいことは、手放す、自分のものにしようとすると、法則違反だから、「生命憲法」(笑)を破ったんだから、犯罪者なんです。だから権力が奪われちゃうんです。
つまり、何かに執着すると、それがものすごい勢いで逃げていくんです。
全然執着しないと、蝶々が勝手に来て肩にとまるような感じで、とどまる可能性はあります。
蝶々がたくさんいるところに行ってみたら、蝶々がきて頭に止まったり肩に止まったりもしますよ。
取ろうともしないで腕を出していると、蝶々からやって来て腕に止まるんですね。
それを取ろうとするとどうなりますか?
蝶々が死んでしまうかもしれない、残酷なことをしているでしょう。
もし逃げたら、「あー」というガッカリした気持ちになるでしょう。「逃げられた」と。
蝶々が勝手に腕に止まったら、勝手に去っていくまで眺めて楽しめばいいでしょう。
あるいは、もっと長く留まってほしければ、自分のわがままを抑えて、手を動かさないようにジーッとしていることでしょう。
そこでも自分は何かを手放しているんです。
自分の自由と言うものを。
そうなってくると、ちょっと長い時間蝶々が止まってくれる。
どちらが勝ちですかね?
網を持って蝶々を追っかけて来て、捕まえても、それで死んでしまうかも。あの蝶々の美しさはなくなってしまうでしょう。
あの楽しみが生まれないでしょう?
ですから、一人一人が愛着を持っちゃうと、それぞれが苦しまなくちゃいけないんです。
苦しみが三倍になっただけ。問題が三倍になっただけ。
人が人に愛着を作っちゃうと、それだけでもかなり問題が起こるでしょう。
ですから、答えは「手放すこと」です。
それ以上は、完璧な答えがありません。
(続きます
次回は最終回です
<「手放すことが生きること」スマナサーラ長老との対話(2012年12月09日)
https://www.youtube.com/watch?v=xL37dMGnF9E を聞いて書きました。>
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11月3日(木・祝)、東京のゴータミー精舎でカティナ衣法要が行われます。
アラナ精舎のカティナ衣法要と同様に、今回もアマゾンでお布施リストを個人的に作成しました。
(本日27日で終了いたします。ご賛同下さった皆様、ありがとうございました。随喜とともに回向いたします。)
ゴータミー精舎(カティナ衣法要)のお布施リスト:Amazon.co.jp
【送り状に差出人のお名前が載らなかったケースがあったので(理由は分からないのですが)、
アマゾン購入画面にて「ギフトの設定」に☑チェックしていただき、お名前(匿名可)を 無料「ギフトメッセージ」欄 に記載していただけると助かります。宜しくお願い致します。】
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詳細外部サイト:ゴータミー精舎『カティナ衣法要』雨安居明けお布施式
カティナ衣法要についてスマナサーラ長老の解説:
外部サイト・仏教徒が衣を布施する大法要