ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

主観的判断と客観的判断

質問

「意門にデータが入るときに、自分の判断が割り込んできて、そのフィルターを通して判断している実感があります。それによって怒りを感じたりしていると思うのですが……」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

それは主観的判断になるんですね。

意にデータが入ると、99パーセント主観的に判断するんですね。

判断しないで命を続けられないんですね。手を上げたり歩いたりも判断でしょう。こちらに来たのも判断でしょう。

だから、生きる場合は、瞬間瞬間、判断するんですよ。

 

意門でやる場合は、主観的な判断になります。そうすると間違えますね。修行して成功する人々は、判断は客観的にするんです。客観的な判断は、それほど間違えではない。その場で正しいだけで、別の場合では正しくないかもしれません。ということは、判断は主観的で、結果も主観的なんですね。

 

例えばこの建物に火がついたとしましょう。

やばい、避難しようという判断もできます。それは主観的な判断です。

火がついたから、誰だって避難しなくてはいけない、という客観的な判断もありますね。

 

結果はみんな避難しているんだけどね。

「やばい、逃げろー!」と主観的に判断するのはちょっとかっこ悪くて、判断を誤ることもあります。「火が出たから、逃げなくてはいけない。ではどう避難した方がいいか」と客観的に判断する方が間違えが少なくて済みます。

 

意門というのは、主観的な判断でちょっとカッコ悪くて間違えが多い。客観的な判断は間違えが少ないんですね。

 

質問者

「客観的な判断は、意識して行うということですか?」

 

意識しないとできない場合は、意識して行ってください。だんだんと意識せずにできるようになります。知恵が現れるとね。

(終わり)

 

東京 法話と実践会 スマナサーラ長老 2018年11月23日

動画

https://www.facebook.com/jtheravada/videos/368432943898539/

法話メモ

https://twitter.com/jtba_talk/status/1065775981963567104