ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

安倍自民党と野党、どちらが正しい?(ブッダの治療法5・最終回)

身体は物質なのになぜ成長するのか?(ブッダの治療法4)より続きます)

物質のシステムと、われわれのように生きているシステムに違いがあります。

われわれには感覚と言うシステムがあります。それが心の働きで、それで生きているんです。

 

そのシステムに問題がある。感じるシステムに。物質に問題はない。そこを訂正するプログラムが、仏教でいう「道(みち)」なんです。

 

仏教はそれを教えている。

教えるだけでは意味がないんです。医者が病気の症状を診断しただけでは意味がないでしょう。ですから、このウィルスを何とかしなくてはいけない。このウィルスが一週間くらいで体の外に出るとする。その一週間の間、あなたの体が持ちこたえるように、他の病気にかからないように面倒見てあげますよと、点滴したり、体を休めたり、いろいろなことをして、一週間死なないようにする。一週間後、ウィルスがなくなって元気になる。

 こういう治療が必要なんです。

 

感覚のプログラムに問題があるとお釈迦様がおっしゃって、こういうやり方で直りますよと道を語られているんです。

だから教と道なんですね。ダンマ(Dhamma)とヴィナヤ(Vinaya)、教えと実践、という二つの言葉で言われています。

 

われわれが生きることに、命に欠かせない、不可欠な教えであるというのはその通りなんです。

有難くブッダの教えを学べなくてはいけないと思います。

 

われわれに感覚があるから、自分の事しか知らないというハンディを持っちゃうんですね。

人の感覚は分からない。隣に人がいるということは、目で見てその感覚で分かったり、耳で何か聞こえて分かったり、あるいは触って感じたり、何かしら自分の感覚で触れなきゃ、そこに人がいるとも知らないんです。

 

だから生命は本来、自分のことしか知りえない。これがハンディです。

魚には陸上で歩くことがどんなものか、知ることは不可能です。

われわれは水中生活はどんなものか、経験不可能です。

 

われわれには自分の事しか知りえないというハンディを持ったままで、哲学を作る。世界はこうあるべきだと思うのは、あなたが勝手にそう思っているだけなんです。他の人は別なことを思っています。

 

だから政治システムもたくさんある、哲学もたくさんある、宗教もたくさんあるでしょう。

 

わたしはわたしの事しか知らないというハンディを発見しないで、世間はこうであるべきと言っちゃう。でも世間はまた別の意見を持っている。

 

安倍首相は自分こそ完璧な政治をやっていると思っているが、ほかの政党は別な意見を持っている。どちらが正しい? どちらも正しくない。自分がそう思うだけ。

 

それで、われわれは、愛着・執着をもっちゃう、感覚のせいで。生きていきたいと思っちゃう。そこでトラブルからトラブルが生まれる。

 

そこでヴィパッサナー瞑想のシステムを見るんですね。耳に触れた音を救急車と言わない。音、と言う。そう確認していくと、どんな生命もこんな感じだ。それで、なんでわたしは生きていきたいと思うのか? これはもう、生きること自体が流れで、成り立たないものだと執着が消えて、トラブルがすべて消えて、そこで究極の安穏、安らぎと言う境地に達するんです。だからブッダの教えは、はじめから俗世間の思考から超越したレベルから語られています。

 

真剣に仏教を学んだ方がすべての生命の役に立ちます。

世界は平和になります。争いは消えます。差別は消えます。お互い仲良く生きるんです。水は水と一緒に、うまく合いますからね。そのように生命がお互いにうまく合って、何の対立もなく生きていられます。空気は空気と、何の対立もなく仲良くなります。

それには自我と言う錯覚をなくさなければあかんです。

それは感覚から生まれる錯覚なんです。

 (おわり)

 

(東京・法話と実践会 2015.04.29 スマナサーラ長老 

期間限定公開動画http://www.ustream.tv/recorded/61671391 1:01:50までメモしました)

最初から読む⇒この世はなんで問題だらけ?(ブッダの治療法1)

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関連エントリ:

刺激や欲があるから頑張れるんですよね?

このエントリは、今回の法話を補完する内容になっています。

われわれは日常生活の中で、「安らぎがいい、安穏がいい」となると、仲良くなる。 

たとえば、友達と意見が合わなくても、「平和がいいや。安穏がいい」と思ったら、話が変わるんですよ。対立は対立じゃなくて、お互いに仲良くしましょう、ということになるんですね。

 

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