(筆者注:
第四段落では、お釈迦様がお坊さんたちのところにやって来て、「何を話していたんですか?」と聞きます。それでお坊さんたちが「これこれこういうことを……」と説明します。
第五と第六段落は、それについてのお釈迦様によるアドバイスです。
そのアドバイスについて、スマナサーラ長老の解説を覚え書きとして書き留めます。)
(スマナサーラ長老の解説)
そこでお釈迦様がアドバイスします。
「たとえ誰かが仏法僧を非難しても、あなた方は怒ってはいけませんよ。
機嫌が悪くなることもよくないし、落ち込んでもいけない。
仏法僧を非難したことで、あなた方が怒ったり暗くなったりすると、あなた方にとって悪いんだ。あなた方が危険である」
いわゆる、解脱の妨げになるんです。
安穏な精神にものすごく邪魔になる。つまり覚れないということです。
ただそれだけが、あなた方の足かせになるかもしれません、と。
これはすごく大事なポイントなんですね。
非難されたことに引っかかっちゃうと、こちらのこころが汚れているんです。非難は世の中のことで、世の中のことにこころが揺らがないことが解脱の境地ですからね。
「いくらなんでもこれだけは我慢できません」と言っちゃうとアウトですよ。
一切の事柄に対して無執着でいなくてはいけない。
他人が仏法僧の悪口を言ったら、あなた方は怒る、不機嫌になる、落ち込むならば、彼らが言うことが正しいことを言っているのか、間違ったことを言っているのかと理解できるのか?
そのときは理解できません。
無執着と言うのは、人が非難侮辱をしているとき、聞かないふりをすることではないんですね。
ちょっと微妙なんです。
ただ怒らないだけ。落ち込まないだけなんです。
「聞いてないんじゃない」のです。
はっきり言えば、人が非難するなら聞きなさい。
聞いてもこころを汚すなよ、と。
こころを汚さないで、理性を保って、よく聞いてみて、そこで言っていることが理解できるんですね。
理解できたらこうするんです。
言っていることが間違っているならば、根拠のないものならば、ちゃんと議論して解決しなさい、問題を。
「この理由であなたが言っていることは間違っている」
「この理由であなたが言っていることは嘘です」と、そういえばいいんだよと。
議論に参加するんです。
しかし精神状態は、安穏に保っている。
逆に、褒められて、もしあなた方が調子に乗ってウキウキ状態だったら、相手が本当のことを言っているかわかりますか?
褒められているときでも、批判されているときでも、同じように理性的に対応する。
これでエピソードは終わりです。
その中でも大事な戒めがあります。そのとき、お釈迦様に時間があったんでしょうね。異教徒の人も隣にいたんだから。
そこから超難しい話に入るんです。
(第四~六段落おわり)
<スマナサーラ長老による経典解説http://www.ustream.tv/recorded/84866551 (期間限定公開動画)24:00頃~34:00>
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無執着というのは何を言われても黙っていることではないんですね。
怒らずに理性的に、言われていることを分析して、その分析結果をもとに議論する。
議論して解決するんですね。
とてつもなく難しいけれど、比類ないアドバイスです。
実行はほぼ不可能なくらいですが、こうすればいいんだよと、今回はモデルを示してもらったので、自分のやり方がどの程度OKでどの程度マズいか判断がつくようになったとおもいます。