前回
それで道徳的に物事を考えるんですよ。
貯めてもいいんだけど、博物館に置いておく程度のものは貯めないほうがいいでしょう。なんの役にも立たない壺とか貯めてもいいんだけど、一万円程度のものにしてください。珍しい壺が安く手に入って、調べたらかなり歴史のあるものだったら、置いておかないでサッサと博物館に寄付してください。そのほうがいいでしょう、自分の命がなくなるよりは。
そこらへんで道徳が語れるんですね。
絵画を集めるなら、ビル・ゲイツくらいのバカでなければ意味がないんです。ビル・ゲイツが絵画を集めても、自分の家に置いているわけじゃないんですね。どこか別の場所でそちらにあるんであって、それは本人にとっては楽なんですね。
だから、貯めるときにも道徳観がある。
わたしが得に言いたいところは、そうじゃないんです。
楽しみ、幸福もあるんですよ、貯めたことに。それが貯めるときじゃなくて、貯めたものを使うときなんです。
そのとき、ムチャクチャ幸せなんです。
貯金をする。ドンドン暗くなるだけで。でもそれで、外国旅行でもしちゃう。結構気持ちいいんですよ。分割払いでもなくドカーンとお金を払って、「部屋は何人部屋にしますか?」と聞かれれば「わたしは一人部屋でよろしいんですよ」とかね。そうやって結構たのしめるんですよ。
金があってよかったというのは使うことにあります。
一番いい例で言います。
弁当を買ったりしますね。おなかが空いちゃって。結構無理をして高い弁当を買うことにしましょう。東京駅で。
東京駅では、千円くらいの弁当はだいたい千七百円です(笑)。
新大阪駅のことはあまり知らない。あまりにも人が多すぎちゃって、見学もできない。わたしは見学しますからね(笑)。
東京はもっと人が多いんだけど、結構場所が広いんだからね。
それで、東京駅で弁当を買ったとしましょう。
今日も見学しましたよ。これくらいの小さい寿司が三つですね、なんか箱に入って、七百円。ちょっと食べるだけでね。一人前の量を考えると、三つくらい買わなくちゃあかんでしょう。七百円×三つになりますからね、相当安いんですね(笑)。
それで、じゃあ高い弁当を買ったとしましょう。楽しめる? 楽しめませんね。
この楽しみが、食べるときに出てくる。
五百五十円の弁当を買っても、置いておくと気持ち悪くない?
それを取って開けて食べると、気持ちいい。楽しい。
それからきれいさっぱりゴミにだからと捨てると、「ああ、よかった」と。
それを、置いたままにしたらどうなる? まず、まずくなって食べられなくなりますね。そこにある限りは気持ちが悪いんですね。捨てるときでも、なんか嫌な気分で捨てなくちゃあかんですよ。
ですから、幸福はどこにある? 使うことにあるんです。
だから「物惜しみ」っていうのは病気ですね。
在家の人が幸福になりたい、幸せに生きていたければ、物の使い方を学ばなくちゃあかんです。使う時点で幸せが生まれてくるんです。車を買ったらドライブするときが楽しいんです。自分の家のガレージででっかいシートをかぶせて隠しておいても、迷惑なだけなんです。
(続きます
関西月例冥想会 2016.6.19
https://www.youtube.com/watch?v=_HKuPEM2Ze0 を聞いて書きました。
(「ブッダと弁当」? どんな関係があるんだろう)
関連外部サイト:巻頭法話(92) 『与える』人は損をしますか? 2002年10月
布施と人付き合いの関係を考えてみましょう。ケチ、物惜しみ(macchariya)という性格があります。自分のものを他人が使用することを極力嫌がる性格です。自分の方へ財産が流れてくることは歓迎するが、自分の方から外へ出ていくことは阻止する。このような人とは誰も付き合いたくありません。付き合う人は、必ず何か損をするのです。