前回
それで諦めた物の価値によって、幸せの程度が上がる。
いわゆる捨てることでしょう。ゴミを捨てて幸せになる? なりますよ。ちっぽけな。ゴミに大した価値がないからね。どうせ捨てることに決めているものだからね。捨てて「あ、よかった」だけで終わっちゃうんですね。
でも二千円でご飯を食べたら、もっと幸せを感じる。
なぜかと言うと、二千円はゴミとは違いますね。
だからそういうことで、捨てるものの価値によって幸福の程度が上がっていくんですよ。
一番価値があるものは何ですか、世の中で。
仏教的じゃなくて人間の考えからみれば。
何よりも価値があるのは?
自分の命ですよ。
誰だって、俗世間で何よりも価値があるのは自分の命だと言っているんです。
だったら命に対する執着を捨てたらどうなる?
それで究極の幸福が成り立つ。
値段つけることさえ不可能な、命に対する執着を捨てる。
それで究極の解脱、涅槃という幸福が現れる。
だから捨てることから幸福が成り立つという法則をね、お釈迦様は使って語られているんです。
邪魔なのは物惜しみなんですね。
だから物惜しみの反対の訓練をしなくちゃいけない。人に物をあげるわ、みんなで分けて使うわ、そういう感じで、とにかくこの明るい方向を訓練していかなくちゃいけない。
(続きます
法話・スマナサーラ長老 関西月例冥想会 2016.6.19
https://www.youtube.com/watch?v=_HKuPEM2Ze0 を聞いて書きました。
参考外部サイト:巻頭法話(32) 聖者(阿羅漢)の心(3)1997年10月
……阿羅漢は何もためておくことはしません。心に何の不安もないからです。食事さえも体を維持するために必要な量だけに限ります。常にすべてのものの空たる状態に目覚め生活します。空に飛ぶ鳥たちが自分の足跡を空に残さないような、そんな生き方が阿羅漢の生き方です。
それは我々普通の人間の生き方とはまったく違います。私たちは必死になってものをため、人間の生きる場所は単なるごみの収集場となっているのです。