ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

智慧の扉 「 人に教えるにはウペッカー(捨)が必要です」2021年12月号

パティパダー(日本テーラワーダ仏教協会月刊誌)には「智慧の扉」という、表紙を開けたところに掲載されているスマナサーラ長老の法話があります。

2021年12月号  の智慧の扉は「人に教えるにはウペッカー(捨)が必要です」というタイトルで、スマナサーラ長老の法話編集を担当させていただきました。

その全文を許可を得てここに転載いたします。

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智慧の扉 「 人に教えるにはウペッカー(捨)が必要です」

A.スマナサーラ長老

 

他人を自分の希望どおりに直すことはできません。

世界は個人個人で成り立っているのです。人間関係とは、人の個性を侵害せず、平和と調和を保つことです。子育てという仕事を分析すると、このポイントが簡単に理解できると思います。

 

子育てに悩む人は多いですが、育児とはうまく行かなくて当然なことなのです。

逆に「子育てを完璧にこなしている」と言う親がいるとしたら、親の個性で子供の個性を侵害している可能性があります。親に完全に依存している年齢では、子供は自分に個性があることに気づいていないのです。その年齢で、親の強い個性のために子供の個性が壊れてしまったら、独り立ちできない大人になるのです。

 

親の義務とは、独り立ちできるように子供を育てることです。

そのためには、子供の個性を侵害せずに育てなくてはいけないのです。子供の気持ち・わがままなところも尊重しながら、勉強させたり行儀作法を教えたりするのは、決して容易いことではありません。子供が親の言葉に逆らったり反発したりするのは普通だと思います。「自分の人権は守られている、自分のことを心配してくれている」という気持ちが子供に生まれるならば、その子は親の躾けどおりに成長するのです。生まれてくる赤ちゃんは、自分自身で気づいていなくても個性を持った人間です。「私の赤ちゃんは世界一カワイイ」という親の感情が先走ると、子供は別の個性を持った人間だという事実が忘れられてしまうのです。

 

子供を独り立ちさせる義務を負っている親には、わが子に対して、人間社会で誰もが学ぶべきルールや規則などを教えるという務めがあります。

嘘をつくな、殺すな、強盗するな、など世間で悪いと決まっている項目はもちろん、良い人間になるために必要な基本的な道徳を教えなくてはいけないのです。

 

とはいえ、子供はあくまで別の個性を持った人間です。

他人に何を教えても、相手がそれをそのまま受け取って実行するということはあり得ません。嘘をついてはいけないと知っているのに、多かれ少なかれ皆、嘘をつくのです。殺人を犯す人もいます。しかし、殺人犯の親だってその子が幼い時には「殺生するなよ」と教えたはずでしょう。世界の人々は、他人のアドバイスを参考にします。それでも、どの程度で実行するのか、どの程度で納得するのかは、その人の個性によるのです。ですから、この世で親の予測も超えた素晴らしい人間になる人もいるし、親や社会の期待に背いて正反対な生き方をする人間もいるのです。

 

私たちは、自分が考えたイメージどおりに他人を育てようとする気持ちを止めたほうがよいのです。

人には個性があると、まず理解しましょう。人が自然のまま立派な社会人に成長することはないとも理解しましょう。私たちは、他人にアドバイスをしなくてはいけないし、教育を施さなくてはいけないし、守るべき道徳も教えなくてはいけないのです。相手の個性が割り込むから、それはややこしくてストレスが溜まる仕事です。精神的に疲れるし、時には喧嘩にもなります。

 

そこで私たちは、ウペッカー(捨)を実践するのです。

ウペッカーとは、一人ひとりに個性があること、人権があることを素直に認める気持ちです。その上で、相手に理解できるように、相手の個性が成長するように、必要なアドバイスも教育も施すのです。

言ったから素直に聞いてくれる世界ではありません。誰もがそれぞれ個性を持っていて、その上で世界から受けるアドバイスや知識を参考にして生きています。

自分の人格は、どうしても自分自身で成長させなくてはいけないのです。

(了)