ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

【智慧の扉】どう生きれば正解なのか? パティパダー2022年10月号

この記事は日本テーラーワーダ仏教協会月刊誌「パティパダー」の連載記事「智慧の扉」を、許可を得て転載したものです。

「智慧の扉」はスマナサーラ長老の法話を編集させていただいたコラムです。

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2022年10月号智慧の扉

どう生きれば正解なのか?

 

A.スマナサーラ

 

 「私はどう生きれば正解なのか?」これは私たちにとって最も重要な問いです。

この問いに取り組もうとする理性ある人は、何よりも先に「私は必ず死ぬ」という事実を生き方の根幹に据えなくてはいけないのです。多くの人々はいつでも自分の肉体を心配していますが、いざ死に直面して「この肉体を捨てなくてはならない」とわかると、ショック状態に陥ってしまいます。しかし、ブッダの話を学ぶ人ならば、「身体は生ゴミだ。執着に値するものではない」と理解して、自分の体が死にかけても冷静でいられるのです。同じく、財産、家族、地位、知識、人間関係なども、死を前にすればかりそめの価値を失うものに過ぎません。私たちは「何も持たずに生まれて、何も持たずに逝く」存在なのです。ですから、「私は必ず死ぬ」という事実をしっかり心に刻んでおきましょう。

 

 「生きていきたい、死にたくない」という気持ちは誰にでもある渇愛です。

理性ある人は、「なぜ生きていきたいのか?」と徹底的に調べることで、渇愛を発見するのです。生得的に組み込まれた人生プログラムのコードには「渇愛」が組み込まれていて、人間の社会生活も自分の人生も、この渇愛によって管理されています。渇愛の存在に気づけば、それを人生プログラムから削除することも可能になるのです。

 

 生きることは肉体の維持管理だと、大抵の人は思い込んでいます。

そして、生きることを邪魔するものは敵で、支えるものは味方だと反射的に区別します。しかし、敵と味方の判別は条件によって変化するものです。ですから、敵に憎しみを持ったり味方に執着したりすることはできないのです。そのように「無常」を理解すれば、風のように楽に生きられます。

 

 「人を不幸に陥れる原因は何か?」と尋ねられたお釈迦様は、「それは貪瞋痴である。不幸になる原因は心の中に潜んでいる」と答えました。

貪瞋痴とは、現代の言葉に直せば「感情」のことです。私たちは、自分に感情が起こると、その感情に引きずられて自分の生き方を決めてしまうのです。相手が敵だと思ったら、その後も相手に会うたびに嫌な感情が生まれ続けます。また自分の好物だと思ったら、その物に触れるたびに欲の感情に突き動かされてしまいます。このように人々を不幸に陥れる感情の暴走を制御する行為を、仏教では「善行為」と呼んでいます。仏典で説かれる十善などの項目は、すべて貪瞋痴=感情を制御する行為なのです。たとえ世の中が讃嘆する行為であっても、貪瞋痴を刺激するならば善行為にならないのです。

 

 ここまでのポイントを踏まえて、各自の人生プログラムを「正解」に向かうように組み替えてみてください。

(了)

 

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パティパダーは送料込み600円です。

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