ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

パティパダー2024年2月号 智慧の扉 聖者の道徳 A.スマナサーラ

「嘘をつくなかれ」とは世界の普遍的な道徳で、仏教でも五戒の一つに入っています。ただし、世間一般の人が守る「嘘をつかない」ことと、預流果に達した聖者のそれとは、実は中身が違うのです。世間では「嘘を言葉にしない」という意味で道徳を守っていますが、聖者の場合は「言葉として言うかどうか」ということにそれほど重点をおいていません。一般的には嘘を他人に言わないだけで合格ですが、聖者の場合はそれだけでは不十分なのです。

 

嘘をつく羽目に陥るとき、その裏には何かを隠したいという衝動があります。なぜ隠したくなるのでしょうか? この問題に立ち入らなければ、心の問題は解決しません。そこで修行者は、「嘘をつくなかれ」という道徳を守りながら、嘘を言いたくなる衝動をよく観察して調べてみるのです。表面上の振る舞いとして嘘をつかないだけでなく、「自分にとってまずい状況を嘘で覆い隠したい」という心の衝動を整理整頓して、ものごとに理性で対処します。つまり、嘘をつきたいという意欲が心に生まれないように努めるのです。

 

心に起こる「嘘をつきたい」という衝動を放っておくと、口先だけで「嘘を言わない」と決めても、ついつい嘘を言ってしまうことになりがちです。だから、心の衝動と喋る言葉に常に気をつける必要があるのです。これは実践してみると大変な仕事です。仏道を歩んで預流果に達した人は、嘘をつきたい衝動や殺生したい衝動が起きないようにコントロールしています。自己を野放しにして勝手気ままに喋ることはしません。そうすることで、生き方が完全に道徳的になります。その上、日常生活ではリラックスして楽々と暮らしているのです。

 

例えば、ある一般の人が、部屋で虫を見つけて殺生したくなったとします。その人は、「私は五戒を守っているのだから殺生しないぞ」と殺生の衝動を抑えることになります。結果として虫を殺さずに済んだとしても、精神的にはかなり苦しいのです。預流果に達した聖者は、そのような苦しい戒律の実践から解放されています。経典では、預流果の人が戒律を守る様子を「パーフェクトな」「隙間がない」などの形容詞で表現しています。

 

既に述べたように、聖者には、「嘘をつきたい」「殺生したい」という衝動が起きません。その自然な結果として、パーフェクトに「嘘をつかない」「殺生しない」生き方になるのです。(了)

 

☆パティパダーは日本テーラワーダ仏教協会の月刊誌です。