ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

パティパダー2024年10月号 智慧の扉 なぜ智慧が人格を変えるのか スマナサーラ長老

智慧とは不思議なもので、知識と混同されることもありますが、実は全く異なります。智慧が生じると、それに応じて、その人の人格が変わります。なぜ人格が変わっていくのか、少し説明しましょう。

 

智慧が生じる以前、私たちは幻覚を紛れもない事実だと思って生きています。眼耳鼻舌身から触れた感覚を、頭の中で現象として作り出して、それを事実だと思い込んでいるのです。例えば音は、そもそも存在しているわけでも耳に音が触れるわけでもなく、頭の中で「音」として現われます。仏教的に言えば、心の中で音を作るということです。

 

つまり、聞こえたり見えたりしたということは、自分の心の中に起きた現象にすぎないのです。そのように一般的には、心の中で様々な概念を作って、その概念の世界が現実の世界だと思って生きています。その知識世界の中で、自分が「好ましい」と思ったものを追い求めていき、「嫌だ」と思ったものは避ける、という生き方をします。

 

また、自分の好みだけでなく他者の評価も気にしていて、もし人の目がなければやりたい放題のことをやってしまうこともあります。例えば、学校の子供たちが、監督する先生がいる間は大人しくしていて、先生が教室から出ていった途端に「わー!」と爆発的に騒ぎ始めるようなことを、大人もやっています。体に悪いと分かっていても、麻薬や酒を摂ってしまうこともその一つです。薬物は健康を害する物であると知識を得ても、「それでもやりたい」という欲求が出てくると、知識はメッキのように剥がれ落ちるのです。つまり知識には、人格を変えるまでの影響力がないと言えます。

 

一方で、智慧は人格を変えてしまいます。それは、智慧で現象とは何かと理解した場合、再び現象の世界に騙されることがないからです。つまり、現象は因縁法則で現れては消えるものだとわかると、現象に執着する煩悩の感情が生まれてこなくなるのです。智慧は知識と違って、本人から剥がれ落ちてなくなることがないので、「悪いと分かっているのにやってしまう」と悩む状態には戻りません。このように現象に対して理性的でいられるのです。

 

「自分には智慧が現れてこないな…」と落ち込まなくても大丈夫です。今から智慧の勉強を始めて、因果法則の理解など、各自で行けるところまで頑張れば、その経験は無駄にならないからです。智慧は少しずつでも人格を向上させて、解脱まで進む力があるのです。

(了)