ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

因果法則・業(カルマ)・輪廻転生

輪廻と因果の違いがよくわかりません

質問 「輪廻と因果の違いがよくわかりません」 回答(スマナサーラ長老) 同じことでしょう、結局は。 因縁はずっと流れちゃうでしょう。因縁がなければ、何も現象が現れないでしょう。現れた現象が原因になって、次の現象に繋がるでしょう。そうやってずっ…

輪廻転生がまだ腑に落ちません

質問 「輪廻転生があるのでしょうか? わたしは長老のお話を読んで、すごく科学的で真理だと思いますが、唯一、輪廻転生がまだ腑に落ちません」 回答(スマナサーラ長老) わたしたちは輪廻転生が腑に落ちないのは、自分がいると思うからなんですね。 自分は…

生きる目的はなんですか?(4・最終回)

<前回> 生きる目的はなんですか?(3) - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory 皆さんはこちらで冥想会があるからときましたが、その日にちを決めた時からも、ストレスがかかっています。 この日に行かなくては、この時間に出発しなくては、と目的があるでし…

生きる目的はなんですか?(3)

<前回> 生きる目的はなんですか?(2) - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory わたしも普通よりはたくさん服を着ています。 その場合は目的があるように見えますね。 体を暖かくしておこうと言う目的があって、それで服をたくさん着ておこうと。そうやって…

生きる目的はなんですか?(2)

<前回 生きる目的はなんですか?(1) - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory> それで、川が流れると言うことを我々は知っている。 流れる水を川と呼ぶね、結局は。水だけに川とは言いません。わたしも子供の頃、砂で山を作って水を流したりして、川を作って…

生きる目的はなんですか?(1)

<東京 法話と実践会 スマナサーラ長老 2017年12月10日 https://www.facebook.com/jtheravada/videos/1584500711611792/ 法話メモlog http://twilog.org/jtba_talk/date-171210/asc より聞いて書きました。> 昔からわたしが聞かれていることで、「生きる目…

最終回 - ブッダの教えを学ばなくてもよい人間になれるか?(4)

<前回 善悪は普遍的 - ブッダの教えを学ばなくてもよい人間になれるか?(3)> そういうことで、素晴らしいことを言っていても、貪瞋痴はあるんです。 そこまで発見することは生命には難しいんです。それでも突然発見する人もいます。それは仏教用語で独…

善悪は普遍的 - ブッダの教えを学ばなくてもよい人間になれるか?(3)

<前回 鋸の喩え - ブッダの教えを学ばなくてもよい人間になれるか?(2) > そういうことでね、立派なことを言う人は世の中に多い。 答えは、よいことは言う人と関係なく普遍的によいことなんです。 わたしが言うからよいこと、ではないんです。個人の機…

鋸の喩え - ブッダの教えを学ばなくてもよい人間になれるか?(2)

<前回 ブッダの教えを学ばなくてもよい人間になれるか?(1)> よいことを言う方は、「なんかお釈迦様の教えに似ているんだと、言っている言葉が」という場合がある。 それは、「お釈迦様の教えと似ている」ではなくて、「よいことは普遍的によいこと」な…

ブッダの教えを学ばなくてもよい人間になれるか?(1)

質問 「世の中には、お釈迦様の教えに学んでいないのに、こころが育っているような言動をする人を時々見かけます。お釈迦様の教えを学ばなくてもこころが成長するのでしょうか?」 回答(スマナサーラ長老) 人はそれぞれ無始なる過去の輪廻と言うものがあり…

実体がないなら、何が輪廻するのか?

質問 「中村元先生の著作に、『ナーガールジュナが言っている空(くう)とお釈迦様が仰っている縁起というものは、どちらも実体がなくて関係によって成り立つものだという点では同じですよ』というふうに書かれていました。 もしそうだとすると、わたしは行…

最高の修行は忍耐・忍辱(にんにく)- 親の介護が辛くてしようがない(7・最終回)

前回 菩薩も親を介護した - 親の介護が辛くてしようがない(6) ブッダの言葉では、Khantī paramaṃ tapo titikkhā,(カンティー パラマン タポー ティティッカー)という言葉がありますね。 それはすべてのブッダたちの言葉であると言われている、真理その…

菩薩も親を介護した - 親の介護が辛くてしようがない(6)

前回 介護される辛さ - 親の介護が辛くてしようがない(5) 両親の面倒をみることが、すごく善行為なんです。 仏教の物語の中では、親の面倒をみるために自分の人生がすべてなくなっても、構いません、というところまで語られてはいるんです。ジャータカ物…

介護される辛さ - 親の介護が辛くてしようがない(5)

前回 善行為というのはエゴを捨てること - 親の介護が辛くてしようがない(4) ある神父さんが言った言葉なんですけど、慈しみをあらゆる生命に対して実行しようと思ったら、自分が死ぬ覚悟でやらなくちゃいけない。 わたしは、素晴らしい言葉だなと。 自分…

善行為というのはエゴを捨てること - 親の介護が辛くてしようがない(4)

前回 修行が始まった - 親の介護が辛くてしようがない(3) 母親というよりは、宿題の塊なんですね。 介護をしなくてはいけない「お母さま」ではなくて、自分の人格、性格の悪さも知り尽くしていて、次から次へと宿題を出してくれる「宿題の塊」です。 そう…

修行が始まった - 親の介護が辛くてしようがない(3)

前回 道場 - 親の介護が辛くてしようがない(2) ですから、わたしたちは道場にいて修行中です。 人間は誰だって修行しなくちゃいけないんです。仕事をするために生まれたわけじゃないんです。ご飯を食うために生まれたわけじゃないんです。友達としゃべっ…

道場 - 親の介護が辛くてしようがない(2)

前回 親の介護が辛くてしようがない(1) 結婚にしたっても同じことです。 業が絡んでいるんです。お互いの貸し借り状態に合わせて、夫婦生活は喧嘩ばっかりになったり、いろいろ仲良くするんだけどときどき喧嘩したり、一度もケンカにならなかった夫婦もい…

親の介護が辛くてしようがない(1)

質問 「母の介護をしています。 わたしが一人で介護をしていますと、怒りが爆発してしまいます。辛くてしようがない状態が続いております。 自宅ではなく介護ホームに入れなさいと言われ、探しましたが、入れるようなところは見つかりません。 ひとりで看て…

ケーマー長老尼 - 十二因縁(13・最終回)

(前回から続く 無明を破るきっかけは「実体論」 - 十二因縁(12)) そこで例を出しますけど、ろうそくの炎が有る。炎が「有る」と思っちゃうでしょう。 でも、有るではなくて、瞬間に「有る、有る、有る」ではなくて、「有る、無し、有る、無し」なんで…

無明を破るきっかけは「実体論」 - 十二因縁(12)

(前回 今もわれわれは転生しつつ - 十二因縁(11)から続く) わたしたちが冥想してこころを清らかにしたいというところで、きっかけになるのは、物があるという実体論なんです。 これどうしようもないんですよ。眼に何か触れなきゃ見えないんですよ。触…

今もわれわれは転生しつつ - 十二因縁(11)

(前回 生きていきたいという根拠のない気持ちは、根拠のある感覚のせい - 十二因縁(10) から続く) 生きていきたいと言っても、結局は、眼で見たい、耳で聞きたいだけの話ですけど。 無知だから、それは生きていきたいということだと、さらに解説する。…

生きていきたいという根拠のない気持ちは、根拠のある感覚のせい - 十二因縁(10)

(前回 渇愛は三種類 - 十二因縁(9) から続く) 話に戻りましょう。 人間がいる。この人間が生きていきたいという存在欲と恐怖感で生きているんだけど、それをちょっと一時的になかったことにする。それから「こいつは何で生きているのかわからないんだ」…

渇愛は三種類 - 十二因縁(9)

(前回 サンカーラとは - 十二因縁(8)から続く) お化粧することはどうやっていやるの? 頭で考える。それから手を動かす。たまにしゃべったりもする。必要な場合は。誰かにお化粧してもらう場合は「こういうふうにしてください」と言ったりする。 結局は…

サンカーラとは - 十二因縁(8)

(前回 トリオ - 十二因縁(7)から続く) 渇愛を取り上げたら、無明も壊れます。 恐怖感がなくなったら、これもまた全部なくなるんです。三つが一つで仕事をするんです。 これは精密な関係です。 水を持ってこいと言えばグラスで持ってくるでしょう。グラ…

無明・存在欲・恐怖感というトリオ - 十二因縁(7)

(前回 無明 - 十二因縁(6)から続く) そういうことで、存在欲がある、恐怖感がある、ということを、まとめて仏教では渇愛と一次元にする。 この二つが、無明がなければ、桁違い、話にならないほどの無知がなければ成り立たないんです。 だから、無明って…

無明(むみょう) - 十二因縁(6)

(前回 因果法則は多次元的 - 十二因縁(5)から続く) 因果法則は多次元的に起こるものなんです。 しかしわれわれは、生きる場合は三次元の世界で生きていて、考えるときは一次元で考えているんです。 考えることも多次元で考えなくちゃあかんだけど、そう…

因果法則は多次元的 - 十二因縁(5)

(前回 遺伝子も「私」ではない - 十二因縁(4)から続く) 一番根幹になることは、生きていきたい、死にたくないんです。 その理由を聞いたら、「わからない」なんです。「教えてください」と。「わたしは生きていきたいんだけど、その理由は何でしょうか…

遺伝子も「私」ではない - 十二因縁(4)

(前回 生きる目的は皆無 - 十二因縁(3)から続く) 科学が知っているのは遺伝子を持っている命だけでしょう。 なんで遺伝子が変化して進化するのかと言うところで、なんの目的もありません。ただそれなりの理由がいろいろあって、そうするしかないだけの…

生きる目的は皆無 - 十二因縁(3)

(前回 生きる目的は何か - 十二因縁(2) から続く) そういうことで、生きる目的はあるのかい、と聞けば、神に作られた者だからその目的は神様が知っていると。 あなたは知っていても知らなくてもいいんじゃない、一応、あなたが置かれている環境で義務を…

生きる目的は何か - 十二因縁(2)

(前回 十二因縁(1)から続く) こういうふうに理解してみましょう。 わたしたちはどんな生命でも、ただ生きていきたいと思っているんであって、それはなんでや? と聞いたらわからないんですね。 生きていきたいでしょ? 誰だって。どんな生命でも。なん…