(私たちは「神秘」がほしい【新年法話2】からつづきます)
現実は、オートモードのものは何もありません。
「自然の恵み」とか言葉を言ったとたん、洗脳プログラムが働きます。山にキノコがある、果物がある、野菜がある、これで「なんて恵まれているんだ」と思ってしまいます。
山にキノコがあっても、キノコが歩いて来ないでしょう。自分が熊を恐れながら、キノコを採りにいかなくちゃいけません。熊がその人のお守りを見て、ビックリして逃げたと言うことは一度もないんです。自分が何とかして熊に対処しなくちゃいけないんです。
それで無事にキノコを採って戻って来たら、全部、神様に手柄を上げちゃうんです。(「神様のおかげでキノコを採ってこられました」と)
皆様も、神になった方が楽じゃないんですかね。何もしなくても、自分がしたことにしてもらえるんだから。
何もやってないのに、「ありがとうございました」と言われるんだから。
人生は、自分が頑張って生きてきた結果なんです。
しかし、神様の成果にしたいのには理由があります。これは「怠け」なんですね。
怠けが、基本素材に入っています。
だからこんな変な世界を作っています。
責任逃れで、原発が壊れたら、政府・電力は責任持ちません、と平気で言うんですね。お金くれるんだから、原発をうちの地域で作ってもいいよ、と言った方々も、今になって責任逃れで。最初から、事故が起きたら自分の家に住めなくなるということは分かっていたのに。OKしたならば、それくらい危険はあるんだと、理解してほしいのです。
誰かに責任を放り投げていいわけではないんです。
この怠けさえなければ、なんでも人間が自分のことをやらなくてはいけないんだ、と分かっていれば問題はないでしょう。
おかしいことは、原発反対と言ったとたんに批判されるんです。一方で、再稼働しますよ、といったとたん怒られる。40年経った原発を廃炉にしますと言うと、批判されます。いいえ、チェックしてから動かします、といってもまた何か言われます。誰も責任持たないんですね。
アメリカの軍人に侵略していて欲しいのだけど、うちの地域には来るなよ、とムチャクチャなことを言うんですね。
だったら、論理的な答えは、帰ってもらうことでしょ。
「アメリカ軍に帰ってもらっては困る。友好関係はどうなるんだ」という人に、「じゃあ、あなたの所に言ってもいい?」と聞けば、「こっちには来るなよ」と。
そういうことは、責任逃れの生き方なんです。誰かに放り投げて、「私は知らん」という態度です。沖縄は遠いしね。しかし沖縄の人から見れば、「なんでうちらが苦労しなきゃいかんのか」と考えるし。
そういういろいろなところで、私たちは大変な問題にぶつかるでしょう。だから、祈り文化が入ってくるんです。祈っていれば安心だ、と。事故が起こるはずがないんだ、とか。
「断層が」と言えば、「そんな小さな断層は気にすることはない。100年も何もなかったよ」と。すごい頭がいいでしょ(笑)
地球の歴史上で100年見ただけで何が分かるんですかね。1000年周期で見た方がいいんです。「1000年前に地震が起きた」と分かったら、「だったらヤバイ」と思った方がいいのに。
偉大なる祈りの文化が、いつでも入ってくるんです。
「祈り」というのはすごくカッコいい単語でしょ。
何一つも、祈って成り立ったわけじゃないんです。
明日が不安、結婚が不安、子供の将来が不安、という不安から逃げてはいけないんです。
(ここから動き出すパワーが生まれる!【新年法話4】へつづく)
β関西活動報告 : '12 1/09 関西定例瞑想会@マーヤーデーヴィー精舎よりメモしました。
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