(日本のお寺は世界遺産。誰でも守る義務があります【日本のお寺 6】 より続きます)
それ(仏像)を拝めば成仏できるというのは、関係のないところ。
そうじゃなくて、その中から、かつての日本人の謙虚さ、献身さ、無我で自己を顧みることなく、自分の義務を果たした、その精神が生きているんです。
だから、それを見て、われわれ現代人にも学ぶものがあるんです。
「キャーキャー」と写真ばっかり撮ったりして、1500円の拝観料に文句言ったりとかじゃないんです。
わたしもときどき堂々というんですよ。
「お寺に坊さんが入るためにお金を払わなければいけないんですね。わたしたちが住むべき家なんですけど。自分の家に入るために料金払うんだ」とかね。それはわたしがただ喜んで冗談を言っているだけで、冗談で言ったのはいいんだけど、やっぱり京都のほうでそれはマズイと、坊主からは取らないことにしましょうと、拝観料を取らないところもあるんです(笑)
金閣寺とか、わたしたちからは取らないんですね。だから冗談もなかなか悪くないなぁと(笑)
そういうお寺の檀家さんがいるならば、そちらのお寺に入るときに拝観料が必要かどうかはわたしにはわかりません。そういうことはわたしに聞かないでください。学生の時は京都もあちこち行ったんですけど、その後、行くことはできなかったんです。
そういうところに行こうとすると、誰かが来てガチャガチャ言って、行くのを邪魔するんです。わたしは腹が立って、「あんたからお金をもらって行くのではないのに、どうしてわたしが行くことに反対するのか」と一応断ります。
たまに京都などのお寺に行って、文化の雰囲気を感じたって悪くないんですけど、なかなか行けないんです。今度行こうかなと思って、自分の弟子が一人来ていたんですけど、他のところは行ったんですけど、京都とかそういうところは行けなかったんですね。時間がないし。
明日もスケジュール入っていますしね。
とにかく、わたしはなかなか行けないんですけど、文化は大事にしてください。文化を大事にしないことには話にならない。
拝観料を払いたくないんだったら、みんなで基金でも作ってね、大事な文化財産を維持管理しなくてはいけないし、それよりは拝観料と言うのはどうったことないんだから、便利かもしれませんし。
自分の国でもやっぱり、こういう文化遺産では拝観料を取るんです。昔は信者さんが巡礼に行った場所なんですけど今は、観光に行く人は拝観料が必要なんです。しかし、信者さんが巡礼に行く場合は拝観料はいりませんが、しかし、そういう人はお布施をするんです。いろんなところに、いろいろな項目でお布施をするんです。
観光客はチケットを買って行って見て、帰るだけだから、どちらがたくさんお金を払っているかはわかりません。無料で入る人の方がもしかしたらたくさんお布施している可能性があります。
それからスリランカの場合は、現地の人の拝観料と外国人の拝観料はまた別々ですね。象の孤児院がありまして、わたしは25ルピーで入ります。だいたいわたしは誰か日本の人を連れてきますが、外国人の場合は250ルピーといきなり10倍になっちゃうんです。これって失礼で高すぎだというと、施設の人が言うにはね、「あなたがた、ルピーではなくてドルで考えなさいよ。1ドル、2ドルの入場料はあなたの国では安すぎでしょう。しかし、ここ現地の人たちにそんな大金払えるのか」と。
まあ、世界の経済状況はそういうことだからね。
それと宗教とはあまり関係ありませんが。
ハイ、話はそれで終了させていただきます。すみません、一つの質問に対する答えだけで(時間が終わってしまって)。
あまり皆さんの役に立つことをしゃべることができなかったんですけど、大変申し訳ないです。
どうもありがとうございました。
(【日本のお寺】全7回 おわり
はじめから読む⇒「管轄外にする」という仏教的な生き方【日本のお寺 1】)
(関西定例瞑想会 2008.05.11 スマナサーラ長老説法
http://www.voiceblog.jp/sandarepo/577302.html 音声ファイル:一番上よりメモしました)
関連エントリ:
すべての「説法めも」を読むには: