ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

能力ある人は「次どうなるか?」を気にしない【後編】

能力ある人は「次どうなるか?」を気にしない【前編】から続きます)

またある人が、瞑想に喩えて質問したんですけど、「歩く瞑想をすると、『右足、上げる、運ぶ、下ろす』と実況します。そのとき、全然左足のことを考えてはいけませんか?」と。

わたしは、「いけません。左足の存在すら要りませんよ」と。

 

右足を上げて、運んで、下ろしたのならば、おのずと左足が動きますよ。計画立てなかったんだから、将来を期待しなかったんだからと、左足が動かずに右足を再び上げることはありませんよ。右足を進めた人は、次に左足を進めます。それは大成功です。それが答えです。

 

二つはありません。原因に結果がある。二つの結果はないんです。

 

かぼちゃの種をまいた人が、「これは玉ねぎになるかニンジンになるか、かぼちゃになるかわかない。かぼちゃになることを期待しよう」というのは(笑) かぼちゃの種をまいたらかぼちゃができるでしょう。

自分の仕事は水を上げることだけです。

それをやればいいんです。因果法則で結果はおのずから出るものです。それを、期待して妄想して悩むのは、想像を絶する無知なんです。想像を絶するあほなんです。

 

だからお釈迦様は、「あほになってはあかんよ。もっと理性のある人間になってみましょうよ」と。いえ、「なってみましょう」ではなくて、「なってみたらいかがですか」です。ブッダは成功を収めているんだから、「やりましょう」「一緒に頑張りましょう」はありません。ブッダはもう成功して完成しているので、「やり方を教えてあげるからやってみたら?」という調子で。

 

先にやっていたんだから、先に成功を収めているんだから、教えることができます。「一緒にやろう」というのはちょっとしんどい。成功するかどうか、教えるほうもまだ知らないんだから。

 

そういうことで、理性的になってみたらいかがでしょうか。無知をやめればいかがでしょうか。

 

無知な生き方の一つのポイントは、どうでもいい将来を期待すること。

 

将来と言うのは結果ですよ。結果は原因に依るんです。原因は「今」組み立てているんです。だから今の仕事をすれば十分です。

 

自分にかかってくることは、一分ごとにやるべきことがあります。

「今は無いんですね」と思っているでしょ? あります。「話を聞くべき」という義務があります。話を聞かなかったからと言って、別にわたしは機嫌が悪くなることはないんだけど、今の仕事は、「話を聞く」ということで成り立っているんです。

 

それをちゃんと一分ごとにやれば、もう録音する必要はないんですよ、そのまま覚えられます。

 

わたしは本当に頭が悪いんですよ、小さい時から。すごいコンプレックスもあったんです、なんでわたしだけ頭が悪いのかと。

そこでわたしがとった態度は、学校に行くときは授業を聞いててやる、と。隣の子がいろいろ、指をさしたりとかやめさせます。「やめて」と。「授業を聞いているんです」ということで。その一分で理解するんです。

 

そうなってくると、先生は上手か下手か見えてくるし。先生は自分でよくわかって自信があってしゃべっているか、本人もよくわからないでしゃべっているのかと見えてくるし。本人によくわかっていなくても、しゃべっているデータからどう理解すればいいかと、その場その場で考えるし。

 

だからわたしは、ノートを書いたことはないんです。大学卒業するまで。どんな試験でも、誰よりもいい点を取りました。わたしの得点に近づくことは、当時誰もできませんでした。そうなってくると、頭がいいということになるでしょう。本当はそうじゃないんです。今も頭がいいとは思っていないんです。

 

ときどきわたしは他の人を見て、かなり能力があってヤバイなぁと分かりますけど、成功でいえば、どうせ失敗するんだと分かります。なぜならば、成功を収める秘密を知らないんです。それは現場で仕事をすることです。

 

現場で生きていると楽しいんですよ、人生は。

だから大学の講義でも、ほとんど覚えていました。今は使えないのでかなり忘れましたが。

試験で、頭の中で授業がワーッとよぎっていくんです。だから試験なんか、遊び。試験の前にみんな勉強しますけどね、わたしは「みんな徹夜しているしつまらないな」と一人で寝たりしていると、グループの友達に「寝たら大変でしょう」とつかまって。友達の気持ちはわかりますけど、勉強させてやるぞという。

 

さらに、授業で余った時間を使っていろいろなことを調べて研究もしているんです。だから、学生のときに、先生の方が疑問点についてわたしの意見を聞きました。わたしはちゃんと調べていましたから、自分の意見を言いました。先生たちは「なるほど」と。

 

信じられますかね? 大教授たちが、海外で発表する論文を書いて、わたしに見せて「意見を言ってください」と。わたしはビックリするんですよ。なんでこんな先生たちが、わたしの意見を聞くのか?と。意見があっても言えませんよ、先生には立場がありますから。

 

それも、頭がいいということじゃない。ただ、現場主義でいただけなんです。

 

仏教の歴史も同じなんですよ。お釈迦様は45年間毎日語り続けたんです。その中で大事なポイントはすべて残っています。無くなっていないんです。それはどういうこと? 石に掘っておいたわけじゃないんです。

 

当時のお坊さんたちは、一発ですべて暗記するんです。

それが神話物語でもない、事実です。

皆様にもできます。現場主義者になったら。

 

今の一分の自分の仕事をすれば、かなり天才的能力を発揮します。

天才になる必要はないんです。天才というのは、ちょっとした脳の異常です。普通でいいんです。普通でバランスの取れた人間でいられます。

天才というのは、ちょっとバランスに欠けているでしょう。そういう脳の異常でなくて、普通の脳で、天才的能力を発揮できます。皆様にもできます。誰にもできます。

 

だから、過去に足を引っ張られないように。将来の夢に閉じ込められないようにして、今の瞬間のことをやりなさいと。

それこそ偉大なる道である、というブッダの言葉です。

 

頑張ってください。

(おわり)

 前編からもう一度読む⇒能力ある人は「次どうなるか?」を気にしない【前編】

(関西定例瞑想会 2008.03.16 スマナサーラ長老法話

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/537807.html 音声ファイル:上よりメモしました)

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