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Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

「植物も傷つけちゃダメなら何も食べられないでしょう?」に対する答え - パーリ経典解説(梵網経1) 第十段落

前回 パーリ経典解説(梵網経1) - 第九段落

第十段落

 「沙門・ゴータマは種子類、草木類を傷つけることから離れている」

 

スマナサーラ長老による経典解説http://www.ustream.tv/recorded/84866551 (期間限定公開動画)01:08:00頃より、気になったポイントを書き留めました>

 

生命は細胞だというならば、動植物を区別できないでしょう。

牛は葉っぱを食べなくちゃいけない。葉っぱは自分で栄養を作っているんですね。

植物には台所がある。動物には台所がない。

台所がないアパートに住んでいる人は、コンビニで弁当を買ってこなくてはいけなくなっちゃう。

 

戒律でそこまで言っている理由があるんですよ。

どうみても、これは出家でない限りは守れないでしょう。守れないというのは、裏は何があるんでしょうかね。

 

大豆になんで栄養が溜まっているのかと言うと、子孫のためでしょう。

その法則はほかの生命にもあります。とにかくやっちゃいますね、子孫のために栄養をあげることは。

 

自分の子供のための栄養を奪われたというのはどういうこと? 

これ、我慢できる? 人間に例えればどれほど残酷かと。お母さんが赤ちゃんのためにおっぱいを作る。それを凶暴な人が来て、全部絞って持って行く。また作る。また絞って持って行く。

 

そういうことをわれわれは、なんの躊躇もなくやっています。大豆を食べているでしょう。米を食べているでしょう。

 

そこで大事なポイント。

皆様が出す質問は「それをやめたら何も食べられないでしょう」と。

食べるものって一切存在しなくなるでしょう。

そこで違和感があるのは、「生きていきたい」と存在欲があるからです。

生きていきたいと、生きていくのが正しいと、そういう設定での話でしょう。

 

仏教は解脱しなさいと言っているんだから、基本的に、そこを強調しているんです。

(第十段落つづく)

次回 なぜ出家は一日一食か?- パーリ経典解説(梵網経1) 第十段落

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