(肉体至上主義をやめたらどうですか|人間と五戒(6)より続きます)
例えば酒の問題ね。酒はなんとしたっても体に毒なんですよ。しかし肉体のあの刺激に依存しちゃって、やっちゃいます。やめられませんと。
ということは肉体至上主義です。やめたら最初は、人間関係もあるし、文句とかいろんなことを言われるかもしれませんしね。それでも決めたことをやってみると、自分がすごく精神の強い優柔不断じゃない人間になって、他の文句を言っていた人々が文句言えなくなっちゃうんです。
それだけじゃない。肉体に関して不安を感じる必要がないんです。
結局肉体を守りたいでしょう? 守りたければ、戒律も守ることなんです。それで肉体まで守ってくれるんです。一石二鳥です。
戒律というのは、しきたり・儀式・宗教的にやらなくちゃいけないことじゃないんです。心を管理することなんです。獣で働いている心を調教することなんです。
五戒だけじゃないんですよ。
仏教を学ぶ人は、食事も気をつけなくちゃいけないんですね。食事の場合、気を付けるのは、量なんです。仏教は菜食主義とか言っていないんです。肉体を維持できる材料は決まっているんです。そこで量を考えてください。なぜならば、食べるとき美味しいんだから食っちゃうという煩悩が働いてきます。そこで仏教徒は美味しいんだから食っちゃうんじゃなくて、肉体が壊れるから修復する材料を入れなくちゃいけない、燃料を入れなくちゃいけない。どの程度肉体が壊れるかチェックして、その分だけ入れる。余分を入れたらそれは脂肪になったりコレステロールになったりする。
だから戒律を守ることが肉体に対しても優しい態度なんです。われわれの体がただの肉体じゃなくて、食べ物を保管するトランクルームになっているんですよ。食べるものに限って無常が激しいんです。いつでも使用期限、賞味期限がありますね。すぐ壊れるから食べ物になるんです。無常でなければ食べ物になりません。
石は、そう簡単には壊れません。食べ物になりません。
なんでわれわれには草とか食べられないかというと、壊れるためにすごく時間がかかっちゃうんです。牛には食べられます。食べることに時間がたっぷり使えますから。われわれはジャガイモ・キャベツなどを食べます。いとも簡単に潰れて壊れるものだからです。
トランクルームにしちゃうと、栄養っていうのは保管できないものでしょう。すべて体の中で腐ってしまいます。細胞は何かあったら使いましょうと言う目的でね、それを保管するかもしれませんが、結局使いません。使用期限が切れているんです。
皆様は食べ物を買うときは、店で商品の使用期限・賞味期限をよく見て買って、それから食べているのに、結局食べ物を体に貯めているんだから。
だから戒律を守らないことは、肉体に対しても敵として行動することなんですね。
そこが分かってきますよ、やってみると。戒律を破るよりは守る方が楽やと。その方が幸せで生きていられるんだと。健康でいられるんだと。
(八戒について|人間と五戒(8)に続きます)
東京・法話と実践会 2015.06.14(日)
http://www.ustream.tv/recorded/63713487 よりメモしました。
関連エントリ:ビジネスに欲は関係ない。競争もない。【食品のこと・前編】
特に食べ物を売る場合は、よく覚えておいてください。
あなたの売るものは、人々は食べますよ。その人々の命になるんですよ。だから、菓子パン一個売るときでも、『どうか幸福で、元気でありますように』と心で思ってください。
そうすると、何のことなく、あなたの商売は繁盛しますよ。
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