質問
「最終的に、『差別・区別・分別』*1 を乗り越えるということですが、分別は無常を知るうえで役に立つというか、そのステップとして必要なものなんでしょうか?」
回答(スマナサーラ長老)
そうなんですね、必要です。
たとえば土の塊があります。そこに金粉も入っています。十グラムぐらい。土は一トンくらいある。
そこから金を取り出すために、あらゆる手段をとって、ようやく金を取り出す。
因果法則ですよ、すべて。物事は変化します。無常ですけど、パターンがある。そのパターンが因果法則です。
生きていきたい、死にたくないは、区別能力を使うと無駄なことだとわかります。そこで「幸福になりたい」という新たな課題を意図的に作る。それを作ったところで、新たな宿題が現れてくる。それが分別です。
「生きていきたい、死にたくない」と言う人々は人殺しができます。「幸福になりたい」と思う人々は、人殺しはできません。おなかがすいていても、誰かにお弁当を買ってもらうように頼むこともできる。その代わりに何か役に立つことをすると申し出る。もしかすると、頼まれた相手はその人を助けてあげるのを喜んで、いろいろ話したりして、幸福な雰囲気が現れるでしょう。
そういうわけで、幸福になるというプログラムを組んだら、「分別」が成り立つ。
分別と言うのは道徳で、倫理で、最終的に究極の幸福になる、と言うところまで持って行っちゃうんですね。そこで仏道では、幸福になって、なって、なって………、究極の幸福になったところで、そちらには、分別も何もありません。
涅槃という境地になるんです。
これはハシゴなんですね。登るための。お釈迦様は「イカダ」という言葉を使っています。恐ろしいところに住んでいて、殺されるわ、苦しいわ。恐ろしい川がありまして、これは感情のことです。とにかく、イカダを作って川を渡ろうとする。渡り切ったら、川も関係ない、イカダもいらない。それで涅槃と言う境地に至る。
そこに行く人は、差別はもちろんないし、区別も、分別も乗り越える。(筆者注:しかし、渡りきるためには分別で宿題を終わらせる必要がある)
そういうわけで、分別は必要です。
スマナサーラ長老・東京月例講演会「違うって素晴らしい こだわりをなくす智慧の道」2015.07.18
質疑応答よりメモしました。
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