質問
「こころをドンドンきれいにしていって、スッキリと何もなくなった状態になったときに、そこには最終的に何があるのですか? ニルバーナはどういうものなのですか?」
回答(スマナサーラ長老)
これは結構聞かれる質問ですけど、お釈迦様は、これは人間には理解できないからあきらめろと言っているんですよ。
今の質問も、結局は眼耳鼻舌身からデータを受け取って、その概念から考えたんですね。それは、見るものは「ある」と思っている。聞こえるものは「ある」と思っている。すべて「ある」とね。それで概念を作る。それがなくなったら何があるのかと聞く。だから五感の知識なんですね。五感の知識を乗り越えたらどうなるのかと思ったら、五感の知識しかない人にわかるわけないでしょう。
それを説明するためにすごくわかりやすいたとえが、これは経典に合ったようななかったような、思い出せませんけど、このたとえは大乗仏教、と言っても初期大乗仏教なんですけどね、そこでも使うたとえなんですね。
湖の中で、カメと魚が仲良く生活している。
ある日、カメさんがどこかに行っちゃうんですね。魚さんはカメさんと遊びたいんだけど、探しても、探しても、探しても、見つからない。魚さんは一生懸命、湖の隅から隅まで探すんですよ。でも、見つからない。
何日か経ったら、カメさんがいる。カメちゃんが。
魚は「あんたを探して探しまくったんだけど、見つからなかった。どこに行っていたんですか?」
カメ「ちょっと陸に行っていましたよ」
魚さんには初めて聞く単語なんです。陸っていうのは。
魚「えー? どんなところですか?」
カメ「いいところですよ。ものすごく広くて。どれくらい大きいかとわからないですよ。この湖とは違います」
魚さんも友達だからね、根掘り葉掘り聞くんですよ。陸のことを説明してくれと。
魚「ここよりもきれいな水がありますか?」
カメ「あのね、水はありません」
魚「ええっ?!」
水がないってどういうことかと、魚にはわからない。わたしたちには空気のない状況をわからないでしょう。空気のないところにいたら、爆発して死んでしまうと、危険なところだと思うでしょう。同じように、魚さんには水がないということが理解できない。
魚「もっと格好いい魚がいますか?」
カメ「魚は一匹もいません」
魚さんには、もうなんだか、わからなくなっちゃったんですね。
魚「君は嘘を言っている。陸っていうのはあり得ない話だ」
カメ「いいえ、違います。陸っていうのは本当にありますよ」
ということで、話が物別れに終わっちゃったんですね。
そういうふうに、眼耳鼻舌身の世界で認識する人々に、「ニルバーナは何か?」と聞かれたら、「ちょっと待ってください。成長してください」と言うことになります。
もし魚さんが、陸のことをどうしても知りたければ、本人が成長しなくちゃあかんですね。最低、カエルさんくらいまで進化しなきゃね。もしくは、ウーパールーパーとかね。両生類とか、さらに陸上の動物になれば、陸のことも知ることができます。だからわたしたちは、冥想実践によって進化する。そうするとわかるようになります。
「最終的になにがあるのか?」というのは、五根でとらえるデータで理解したい、と言う意味なんですね。
<東京法話と実践会 2015.11.29
http://www.ustream.tv/recorded/78705448(期間限定公開動画)
(21:00~28:00)より書きました。>
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