ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

慈悲の心でスポーツできるか

質問

「慈悲の冥想みたいなお人よしの考えでスポーツをやったら、面白くないと思うのですが、どうなんでしょうか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

俗世間の考えと真理の考えは正反対ですから、ちょっと合わないところがあるんですよ。慈悲の冥想と言うのは生命を平等にみて、みんなで協力しあって幸せを願う世界なんですね。

 

真理的に言えば、生命は一個では成り立たない。体にも四十兆くらいの細胞がありますね。細胞は一個一個別々な生命なんです。だから、「自分が、自分が」というのは成り立たない。たとえば、日本政府といっても、あるようで本当は無いでしょう。一人一人が自分の仕事をしているだけです。日本国と言えば土地はあるんだけどね。

 

そういうわけで、「わたし」と言ったら一個一個細胞が自分で自分の仕事をして生きているだけでね。

 

だったら、何が正しい生き方か、と言えば慈しみなんです。体の中の一個細胞だけ幸せになってほしい、ほかの細胞は死んだっていい、というのは成り立たないでしょう? たとえ皮膚の細胞であろうが、髪の毛の細胞であろうが、元気でいたほうがいいでしょう? だから仏教は正しい生き方は慈しみであると言っています。「俺が死んだら天国に行くぞ」「他の神を信じたら地獄へ行くぞ」というのは仏教にはないんですね。それをまず理解してください。仏教の立場をね。せっかくこういうところに来たんだからね。

 

慈悲の冥想というのは最大の力を持っている冥想なんですね。それは仕方がない。どんな呪文よりも最大の力があるんです。慈悲が正しい道になる。慈悲の気持ちがある人は、どこでも勝利を得て生きています。

 

そこで、われわれは俗世間の汚れた思考で考えちゃうんですよ。普通に慈悲の冥想を使ってもいいんじゃないかと。まぁ、日常に使ってください。野球の競技でもいつでも慈悲の気持ちを作ってください。ご飯を食べるときにも、多数の無数の生命の力が集まったところでご飯が食べられました、幸福でありますようにと。毎日、奥さんをほめてあげてください。感謝してください。友達にもいつでも感謝してほしいんですね。なぜならそういうふうに世界が成り立っているんだから。

 

しかし、相手を倒すためにどうやって慈悲の気持ちを使うのか? というのはなんかちょっと問題なんです。一応、すべての側面から答えを出していますから、今はね。

 

この間、自転車競技の選手が質問したんですね。それは厳しい世界でね。その人はいくらか仏教のことを微妙に興味があった人でね。

 

その人が出した質問っていうのは、「自分が競技の世界だから、すっごいライバル意識で戦わなくちゃいけないし、貪欲に戦わなくちゃいけない。どうしたらいいんですか?」と。

 

そのとき出した答えはね、「あなたは、必ず負ける原因の精神を持って、どうやって勝てるのかと質問していますよ。成り立たない。人が競技で必ず負ける原因を持ってどうやって勝てるのか。だから、貪欲を捨てなさい。貪欲で負けますよ」

 

常識的に考えれば、競技で勝ちたいというのは常識ですよ。それで怒りも嫉妬も憎しみも入る必要はない。だって常識でしょう。勝負で自分が負けたいんだったら競技が成り立たないでしょう。「自分が負けたい」、だったら初めからやるなよ、でしょ? 球を取らないわ、打たないわ、それでは迷惑でしょう。だから、そういうふうに見てほしいんですね。

 

人間が、俗世間があらゆる競技を考えます。そこでどちらでも、勝つつもりでやってほしい。でなきゃ、おもしろくないんです。そこに貪欲、怒り・嫉妬・憎しみが入ったらあかんでしょう。そんな目的でやっているものではないんです。

 

仏教からみれば、競技があるのは構いませんけど、基本的な真理を分かってほしい。これは相手がいて成り立つものであって、だからと言って、自分ががむしゃらに勝ちたいと思わなければ競技が成り立たない。

 

そこで、仏道は正しいアプローチを教えているんですよ。相手に対して慈しみを持ちなさい。この人がすごく強豪で上手だから、なかなかかなわない相手だ。だからこそ、競技が面白いんだと。相手がすごい強敵だったら、負けても悔しくないし、万が一勝ったらものすごく楽しいんですね。

 

自分の楽しみが、相手によって成り立つものだと理解して慈しみを育てるんです。そこで、勝つはどういうことかというと、相手を負かすということではなくて、自分の能力を思い切り発揮することなんです。それが悪行為ではありません。

 

生物学的にもわれわれは進化の過程にいるものなんですね。進化しなければ死滅してしまいます。進化そのものもある程度で競争・競技なんですね。そこで誰が生き残るのかというと、自分の持っている能力をフルに活かして悪環境を乗り越えた人なんです。それは怒り・嫉妬・憎しみでやるものではないんです。自分の能力を発揮する。能力を発揮しないのは自我が割り込んできている。あいつには勝たなくてはあかんや、負けて悔しい、という様々な感情なんです。

 

たとえば、プロの世界ではものすごく金がかかっているんだから、欲が出てきて、今年が二億の契約だったら来年は四億にしなくっちゃとかね。うまくいかないんです。だから、ひたむきに自分の力を出す。

 

よく例に出すのが、イチローさんなんですね。ひたむきで自分の能力を発揮するだけなんです。頭いっぱい、細胞いっぱい、野球にかけているだけなんですね。そこですごく集中力が生まれてきて、人格がなんとなく穏やかな人間になってくる。しかし日本では、嫌われていますよ。人気ないし、日本ですてられたんだからアメリカに行ったでしょう。

 

日本ではすごく激しい怒り・憎しみ・嫉妬、それからカッコいいことが大事で、能力はいらないんですね。スケートの場合は浅田真央さんを立てているんだけど、でも、いい成績を出すのは別の人々なんですね。そういう不公平な世界ですから。

 

だから、慈悲の気持ちでやってください。相手がいるから自分の楽しい世界が現れてくるんだということです。落ち着いて、自分の能力を徹底的に使っちゃうというやり方でいくんですね。勝っても楽しい、負けても楽しい世界を作らなくちゃあかんです。

 

東京法話と実践会 2015.12.13 

http://www.ustream.tv/recorded/79709203(期間限定公開動画)最初~14:00

 

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