前回
そういうことで、お釈迦様は二十八歳で出家して、そこまではお父さんの機嫌を取っていたんですから。
お釈迦様は、「父は自分が人類を幸福にするんだと思っているんだ。でもただの王子で何もできない。人を幸福にすることができないんだ。人は毎日歳を取る、病気になる、これは嫌でしょう。みんな嫌で嫌で死ぬでしょう。ただ食べ物をそろえてあげるだけでは、人類の苦しみは消えません」と。
お父さんの期待には、このままでは応えられない。
別の道を探さなくちゃいけない、ということで出家したんです。そのときお父さんは泣いていたんです。
父王も母王も、出家したときは泣いて止めましたが、出家してからは、「うちの息子はかならず目標に達する」というすごい自信が父にはあった。
息子のために、わたしは国のことを頑張ってみます、と父からの協力はものすごくあったんですね。息子には、自由に頑張ってくださいと。
「あなたの息子が亡くなった」という報告は父王のところに何回か来たんです。
あるとき神々が「息子が亡くなりましたよ」と来たとき父王は、「あの子は、探し求めていた目的に達したの?」と神々に聞いた。
「いえ、できませんでした」
「それならわたしの息子は死にません。目的に達していない途中では」
と神々を追い返しました。それくらい自分の息子を信頼するんです。
お釈迦様は苦行中、三回くらい仮死状態になった。
でも亡くならなかったんですね。
それで苦行をやめて、身体が回復した後に、最後にスジャータ夫人から乳がゆをいただいた。
おかゆと言っても、かなり重い食べ物なんですよ。ものすごく栄養が入っていて、六年間断食をしていてすぐおかゆを食べた、というなら死にますからね。
お釈迦様が乳がゆをいただいたときは、かなり回復していました、身体が。
骨と皮だけの身体から普通の人間の身体に戻っていたんです。それで乳がゆをいただいて、ネーヤンジャラーの川に鉢を捨てて、菩提樹のところで一日で覚りに達しました。すべて間違った道を捨てて、自分自身で発見しなくちゃいけないんだと。人に説かれた道を歩むんじゃないんだと。
人が説いた道は、説いた人が真理に達していないんだから。
だからお釈迦様は、先駆者で、開発者で、発見者なんです。何から何まで。
ビックリするほどの中道を発見して、今われわれが派手に教えている真理を、菩提樹のところで発見して覚ったんですね。
(続きます
菩薩誕生=成道=ゴール - 関西ウェーサーカ祭2016(7))
スマナサーラ長老・ウェーサーカ祭 午後法話 mayadevi 2016.4.29
https://www.youtube.com/watch?v=vYomM7Q2ROY&feature=youtu.be(期間限定公開動画)より書きました。
関連外部サイト:仏教講義、18.苦集滅道(2)仏陀の苦行から悟りまで(No39)
……中道を悟ったのは1日だったという話です。
1日と言っても厳密に1日なのではなくて、ごはんを召し上がって、からだが回復するまで食べて、それから最後にスジャータという大変お金持ちのご婦人が作った栄養たっぷりの乳がゆをいただいて、それでその日に悟られたのです。