前回
お布施っていうのはあげることだからね。
自分の権利がなくなっちゃうんですね。だからそれですごく幸福になります。
弁当を買う場合は、自分で結果を決めちゃったんです。これくらいの結果で交換しましょうと。お布施の場合は、自分で結果を決めていないんですね。善いことをしたいという気持ち。物に対する執着をなくしたいと。
そうすると結果がかなり広く、リミットがすごく大きくなる。弁当を買ったのとは違います。
例えば困っている人を助けてあげた。見返りも期待しないで。
助けるためには少しくらい金がかかったかもしれませんけど、結果はどのくらいになるのかとわからない。助けられた人は、その後、何かあったら恩返しと思って助けてくれた人を助ける、何かあったら助ける、と一生やってくれるかもよ。大胆なことではないんだけど、ちょこっと毎日の何かを助けてくれたりする。それで楽になっちゃうんですね。
たとえば、買い物なら、「ついでにわたしの分も買ってきてください」と言える。お金はもちろん払うんだけど、楽ですね。助かりますよ。
いろいろ助けてあげたらどのくらいお返しが来るかわからないことで、お布施などなどの功徳はよくやってください、と言っているのは、精神の世界を直すためになんです。
幸福の世界を経験させるためなんです。
それでわたしは派手に仏教は科学だと言っているんです。
宗教的なことではないんです、いろいろと中身をみてみると。
(続きます
法話・スマナサーラ長老 関西月例冥想会 2016.6.19
https://www.youtube.com/watch?v=_HKuPEM2Ze0 を聞いて書きました。