「偉大なる人の思考 Mahā purisa vitakka」スマナサーラ長老著
佛歴2551年(西暦2008年)2月19日発行
この施本は三田新精舎(現マーヤーデーヴィー精舎)着工記念と記されています。
巻末に地鎮祭の写真も。
精舎が兵庫県三田市に決まるまで、様々な紆余曲折があったそうで、当時を知っている会員の方から話を聞いたことがあります。最終的に三田市になったわけですが、三田とは「三福田(三宝)」の略だったことことが後からわかったそう。うう~む。
初心者冥想会の世話役の方などがそうした事情に詳しいので、一度尋ねてみるとおもしろいお話が聞けると思います。
初めて行っても何かホッとするお寺(精舎)。
遠方の方もぜひ一度。遠くから行く価値がありますよ。
マーヤーデーヴィー精舎の戒壇堂
さてこの施本は次のお経がベースになっています。
スマナサーラ長老の唱えられる Mahā purisa vitakka (2分9秒)。MP3形式379KB
http://www.j-theravada.net/sutta/Maha-purisa-vitakka.html
この施本がまるっと読めるPDFもこちらに。
施本PDF『偉大なる人の思考 Mahā purisa vitakka』
http://gotami.j-theravada.net/2011/12/pdf-maha-purisa-vitakka.html
《もくじ》
はじめに
「仏教」は多種多様の教えでしょうか?
人の教えと仏陀の教え
仏教が認める自由
異なる思想には異なる名前を
仏教とはいったいなに?
序章 「偉大なる人の思考」
常識を超える教え
智慧に魅かれて挑戦する
偉大なる人の偉大なる安らぎ
仏教の自己紹介
第一章 Appiccha 少欲
エゴがないことを少欲と言う
仏陀の前では誰もが平等
無我の精神
認められたいのはみんなの願い
エゴがないと「独り立ち」できる
無我の精神の一般社会での適用
第二章 Santuṭṭhi 満足
第三章 Pavivitta 遠離
第四章 Āraddhavīriya 精進
第五章 Sati 気づき
第六章 Samādhi サマーディ
第七章 Paññā 智慧
第八章 Nippapañcā パパンチャを破る
おわりに 真理の言葉
赤字にした「認められたいのはみんなの願い」は、次回9月10日(土)の「初期仏教月例講演会『承認欲求のトリセツ』~ひとは誰に認めてもらうべきなのか?」と関連がありそう。
本文からちょっと一部を抜粋してみます。
たとえ少欲であっても、自分のことを認めてもらいたい、という願いだけはみんなにあるのです。自分のアイデンティティは何なのかと、とか、人に認めてほしい、とかは、現代人が悩んでいる大きな問題です。
それは自分が「偉大なる人」ではない、という証拠なのです。他人に認めてもらわなかったら存在価値さえもないのです。
(略)
他人に否定されただけで生きる気力さえも失う自我意識は、たいしたものではありません。仏教は、それは幻覚だと説くのです。「他人に認めてほしい」ということは、「世間は優れた人々だから、その世間様に認めてもらいたい」という気持ちなのです。そういう気持ちでいる人は、いくらたっても成長しません。自分を照らす基準が俗世間だからです。俗世間を基準にしていたら、俗世間のレベルを乗り越えることなどできないのです。
ところで、マーヤーデーヴィー精舎で、宿泊仏教実践会が9月にあります。
おおっ、申し込みは本日!7月30日まで消印有効!!
【ご案内】2016年9月 スマナサーラ長老指導『宿泊仏教実践会』参加申し込み受
日本テーラワーダ仏教協会 - タイムライン | Facebook
追記:
明日7月31日(日)はマーヤーデーヴィー精舎で、スマナサーラ長老講演会のDVD視聴会があるようですね。
ダンマトーク楽しそう。
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