質問
「死者への弔い方法について教えてください」
回答(スマナサーラ長老)
そういうことには、仏教の決まりというのは全くないんです。
死者を弔うことは、人間が昔からやっていたことで、それぞれの国のそれぞれのやり方でやっているんです。
日本は自分たちのことをアメリカ人だと思っているからいろいろと混乱していると思いますけど、基本的にアジアの伝統的な弔い方をしているんですね。
仏教ではこんなやり方、というようなものはありません。
日本では、先祖という信仰をしていますからね。
仏教になってくると、先祖供養ではなくてね、お世話になった人々やお世話にならなくても、亡くなったら供養をします。あんまり厳しく、これは家族だけの仕事だとか、それはないんですね。
言えるのはね、人に供養して回向するという行為自体がとてもいいことですね。
悪いことではありません。善行為ですね。
そこはごちゃごちゃ考えることがおかしいんですね。すごく簡単でシンプルなことで、弔うといったらパーリ語でどんな言葉かわかりませんけど、仏教では供養という言葉を使っています。回向するということですね。
われわれは回向する。功徳を寄付する、という意味なんですね。
だから自分の功徳を、善行為を寄付するということは、誰がやってもいいことなんです。すべての生命が幸福でありますようにと念じる。それも供養なんです。死者を弔うというそんな狭い範囲じゃないんですよ。
今日も終わりに回向するでしょう。心の中で、「わたしの親せきだけ」ということではないんですよ。先祖も入っているし、神々も、すべての生命にこの功徳をね、あげますと。みんな幸せになってください、という最大限の優しいこころを作るんです。
そういうことで、供養する場合は、功徳を差し上げる場合はね、功徳を差し上げることが善行為であって、善いことで、また自分の功徳が増えるんです。
功徳を積んで、その功徳をすべての生命に差し上げるのは、それも功徳ですからね。そのことで自分の功徳が減るわけじゃないんです。物質ではないんですから。
制限なく供養する世界は、仏教のやり方です。
一周忌などなど、そういうのはどうでもいいことで、わたしたちは毎日供養をしています。
そういうのをやりたがらない、わがままで性格の悪い人間にとっては、一つの節目として、四十九日目でやってください、一周忌でやってくださいと無理矢理言わなくてはいけないかもしれませんね。
ふつうの心優しい人間の場合は、供養っていうのは毎日やります。
そういうわけで、決まりとしては一周忌などなどの行事はありません。
それは文化的な決まりで、それほど気にすることはありません。
チベット人にはチベット人の決まりがあるし、インド人にはインド人の文化的な決まりがあるし、他のテーラワーダ仏教の国々でも文化的な決まりがあります。先祖供養式というのは、それぞれ国によって違います。
ミャンマーは、そんなに派手にやりませんけど、ちゃんと経典通りに供養する。
スリランカは、一週間目と、三か月と、それから一年ごとにやったりするし、その都度思い浮かんだら供養するというね。そういう感じでやっているんですね。だいたい、どんな供養に参加しても、自分の先祖には回向する。
わざわざやる場合は、一年に一回は必ず、家の法事としてやるんですね。そのときはすべての先祖を供養するということをやりますね。
タイは中国文化が入っているから、ちょっとややこしいとは思います。
(終)
法話・スマナサーラ長老 関西月例冥想会 2014.06.01
https://www.youtube.com/watch?v=5pughli5HCQ より聞いて書きました。