(なんで人は念じるのか?(3)こころにつく癖から続きます)
こころは何かを繰り返すことで、その型を取ってしまうんですね。
だからそれをうまく使えば、とても便利ないい特色なんです。しかし、悪意で使えば、それまた便利ですね。どんな悪さもできる。
だから世の中で、悪さをするためには、見事に使っています、こころのこの法則は。
軍人たちには、人殺しは道徳であると教えています。信じられないことでしょう。「俺が自害するぞ。四十人くらい道連れにできたらありがたい。それなら神が喜ぶだろう」とかね。
できるだけ道連れの人数を増やそうとするんですね。
それってあり得る話ですかね、この世の中で。人を殺して神が喜ぶ? それで天国に特等席を作ってもらえるというのは、まるっきりあり得ない話ですけど、あの人々は真面目に信じている。
ローマ教皇が昔、平気で人を殺していたことは? どう考えてもおかしいでしょう。それでも真面目にそういうことをするんです。
特にローマ教会というのは迷信の塊で、野蛮的な信仰の塊です。カトリック教とかいろんな民間の信仰を混ぜて作った宗教で、マリア信仰です。イエズスじゃないでしょう。
原住民の間で女性信仰というのはずっとあったんです。宗教の一番最初は、神は女でしたからね。人類があらわれて最初に作った神はいつでも女なんです。宗教は女の仕事でしたからね。
そこに軍事力が入ってきて、女から神を奪って、それを男にしちゃったんです。神を男にしたのはユダヤ人なんですね。それから世界中の神が性転換を起して男になっちゃったんです。
論理的には、女を男にするっていうのは無理ですけどね。男から男の部品を取り出すっていうことは簡単ですけど。だからおかしいんですけどね。
それでマリア様を信仰して頑張っているんだけど、そういう人々は自分のやっていることの足元を見ないで、「あんたは野蛮だ。あんたは魔女だ」と人を殺しちゃう。戦争を起こしちゃう。
それは論理的にどう見てもおかしいでしょう。その論理的におかしいことに、どうして気づかないんでしょうかね。
あれは悪用していますね、こころの法則を。念じればそうなっちゃうんです。
イラク戦争をしたときは、アメリカの牧師たちは軍隊に入って、政教分離の国なのに、みんなに聖書から引用しながら教えるんです。「この戦争こそ正しい。これこそ、神を信仰する人々がやるべきことだ」と。なんか飛行機にも聖書の文章が書いてあったみたいです。「たくさん殺せ」と。
普通に、理性で考えればおかしいんですけど。
軍隊の人々は、若者というのは、ごく普通な人間なんです。普通のことになると理屈っぽいわ、議論するわ、なかなか大変でしょう。かなわないくらい。なのに、やっていることは何なのかと。
それはどういうことかというと、こころはやっていることを繰り返すとその性格になっています。それを見事に悪用しているんです。
一部の、天才的な能力ある科学者たちに、どうやって大量に人類が破滅する研究ができるんですかね? その人々も、コントロールされています。「科学者なら大胆な研究をしなくちゃいけない。研究結果に怖がっていたら研究できんだろう」とかね。
「軍隊の組織は立派で、普通なかなか入れませんよ。だから俺は何とか頑張って軍隊の研究施設に入らなくっちゃ」とか、念じて念じて、そこに入っちゃいます。
だから、念じることは、気をつけなくてはいけません。これは迷信じゃないんです。
に続きます)
関西定例冥想会 2011.05.04
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1387645.htmlよりメモしました。
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