(前回 脳の危険なところ - 功徳(4) から続きます)
それで脳と言うのは、大胆な仕事をしているわけじゃない。
脳の仕事と言うのは、体の細胞組織を生かす事。しかしいくら頑張っても壊れて死ぬんだということは、脳はわからないんです。だから、脳に死を認識する力がないんです。
だからお釈迦様があえて、死随観という冥想を教えているんです。
死を随観して、念じてみなさいと。それができないんだから、ちゃんと教えていますよ。他人の死をみなさいと。自分の死を想像することもできないんです。想像することも妄想することも不可能です。
他人の死をみて、死を随感しなさいと。
そこで他人が死んでいく。どんな人か、どういうふうに生きていた人か。総理大臣も死んだ、おじいさんも死んだ、母親も死んだ、とかね。その人はこういう生き方をして死んでいった。何とか教授も、歳取って死んじゃった。ノーベル賞を取ったあの人も死んじゃった。
だから生きている間に何をやっていても、結局は同じだ。
わたしも同じだ。ずーっと入れ替えして、ものすごい無理矢理に、脳にまるっきり不可能な認識能力をあげるんです。でなきゃ、われわれの脳は信頼できないんです。
(次回 うんこで健康 - 功徳(6)に続きます)
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