(前回 死随観 - 功徳(5) から続きます)
そこで、脳が真理を知らない。
それは当たり前。脳にとっては細胞を生かすためであったら、それが真理です。たとえば、皆様に「腐った食べ物は食べられる?」と聞くと「食べられません」と答える。もうちょっと考えれば、腐っていても食べられますよ。人間に食べられなくても、いくらでもそれを食べられる生命がいるでしょう。
たとえば、「大便と言うのは栄養になりますよ。食べられますよ」と言われたら?
怒るでしょう。
しかし、大便もいろんな生命の栄養になるんです。脳からみれば、自分が食べられるもの以外、食べ物じゃないんです。
脳は、この細胞は何が栄養になるのかと知っています。
それは取り入れる。栄養になるものは食べ物で、それ以外はとんでもないもの。敵、というふうにします。わたしたちは、不浄と言うけれど、それはほかの生命にとって不浄ではないんです。
人によっては、変な健康志向ばっかしだからね。
微生物の話やいろんなことを言って、豆乳でヨーグルトを作って、玄米でナントカで、どこでも微生物かいるんだよと、それがヨーグルトになったらすごく健康にいいと。わたしは、「そうですね、微生物は豆乳を分解して食べて、うんこを出したら、あなたはその微生物のうんこを食べるでしょう」と。
わたしたちは全然そういう勘違いをしないでしょう。
微生物のうんこを食べているんだと。ビールとか酒とか、なんですかね。うんこでしょ? だから余計なことを言うなよと。脳だけでね。どんな生命もそういうものなんです。
体の中にたくさんの微生物がいるでしょう。
それですごく健康だと言うでしょう。なんで健康かと言うと、微生物がうんこを出して、それをわれわれは食べて栄養にしているんです。
そういうわけで、脳が「なんて汚い話ですか」と言いますが、脳が毒なんです。
言いたいことは、誰でも自分が知っている世界が正しいと思っているんです。そういう生き方をしているんです。
(次回 ラーフラ尊者へのアドバイス - 功徳(7) に続きます)