(前回 こころが全部やっている - 病とこころ(2)から続きます)
人が何を思うか、その思いが結果を出しています。
ダンマパダの第一と第二偈では、それを教えている。*1
いろんなところで説かれていますけど。
わかりやすく言えば、皆様がものすごく嫌いな言葉なんですけど、「あなた次第」という言葉なんです。
世界では、宗教にものすごく関心があるのは日本なんですけど、日本ではアメリカと同じで、原始的で迷信的なおねだり教が欲しいんですね。
ご利益。超能力。あれっていうのは、すごく品格がないということなんです。
人間の品格がないんです。失っている。受験に合格したければ、あんた頑張ってくださいと言うことです。神様お願いしますと、やる? しかも神がやってくれる? そんな違法的なこと。
人間のレベルが低いということなんです。
そこをドンドン正当化すると、ドンドンやり続けると、全体的な人間のレベルが、ものすごく下がるんです。人間のレベルで生きているならば、ほぼ天国のように、穏やかで美しくて、平和で調和を保って、お互いが兄弟だと、「お姉ちゃん、お兄ちゃん、元気?」とか、そういう世界があるんです。
体が弱いおばあちゃんが荷物を持っていても、外へ出るだけで、「おばあちゃん、こんな重い荷物を持って。運んであげますから」と周りの人が荷物を持って運んであげるような社会が現れるんです。
日本では、手を挙げても止まってくれないでしょう。
ヒッチハイクできないんですね。レベルが低くない? やりたいんだけど、やばいでしょう? ということは、相手を獣として見ているんです。それで、現実がそうなのに、「われわれは立派な人間社会を生きているんだ」と嘘を言ってはいけません。
嘘を言って自分をごまかしたということは、見込みなしなんですね。
改良の見込みがないんだから。だから、わたしはいくら嫌われても、本当のことを言う。
で、もしわれわれが人間レベルに上がったならば、ものすごく平和な社会。ものすごく豊かな社会。お互いに信頼し合う。誰を見ても兄弟だという感じで、家族という感じでいる。
たとえばどこかに行ったところで、車が事故って帰れなくなったら、その辺にホテルがあったら泊まれますけど。
人間の社会だったら、近くの家に行って、「車が壊れて帰れなくなっちゃって」と言えば、「はい、どうぞどうぞ」と、ご飯をもらってその家で寝て、お風呂にも入って、仲良くして帰れます。お金もかからない。そういう社会で人間が生きていられるんです。
政治家はそれをやってくれませんよ。
政治家というのは何主義であっても、自分の懐を肥やす事しか考えていないんです。悪魔の代表なんです。それができるのは、真理の教えだけなんです。
(次回は最終回です 最終回 - 病とこころ(4))
*1:「あらゆるもののなかで、先立つものはこころである。
あらゆるものは、こころを主とし、こころによってつくりだされる。
もしも汚れたこころで話したり行ったりするならば、苦しみはその人につきまとう。
荷車を引く牛に車輪がついていくように」
原訳「法句経」一日一話、p39より
参考外部サイト:
1.なにごとも心から始まる 困った時はダンマパダ、スッタニパータで悟りを開く/ウェブリブログ