五蘊(ごうん、pañca-kkhandha) The five Aggregates(英)
— ブッダラボ Buddha Labo (@BuddhaLabo) 2021年7月14日
仏法では生命の感覚器官を五種類の構成要素に分ける。
1、色(しき、rūpa) Corporeality
体などの物質とそのエネルギー
2、受(じゅ、vedanā) Feeling, Sensation
五官(眼耳鼻舌身)と心の接触から生じる感覚
(続)
3、想(そう、saññā) Perception
— ブッダラボ Buddha Labo (@BuddhaLabo) 2021年7月14日
概念、想念、記憶。
4、行(ぎょう、saṅkhārā) MentalFormations, Volitional Activities
意思が働いて心を善・悪・中立にすること。意欲、衝動。
5、識(しき、viññāṇa) Consciousness
五官と心を通じて対象を知ること。見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、感情
仏教の全ての真髄を集大成した方の原理である四聖諦の意味を説く仏語の中に、五蘊に関して特に注目すべき内容のものがある。それは苦(Dukkha)である。四聖諦の最初の部分でブッダは、人々の生活の中で見ることができる例をあげて各種の苦を示され説明された。続
— ブッダラボ Buddha Labo (@BuddhaLabo) 2021年7月14日
しかし最後の部分で、「五取蘊は苦なり」として一項にまとめられた。
— ブッダラボ Buddha Labo (@BuddhaLabo) 2021年7月14日
「比丘たちよ。これが苦聖諦である。生も苦である。老も苦である。病も苦である。死も苦である。憎い人に会うのも苦である。可愛い人々と離れるのも苦である。求めるものを得ないのも苦である。要するに五取蘊は苦である」続
ここでは注目すべき点がある。苦の意味が「五取蘊苦」と覚えやすい言葉で表されたこと、取(upādāna)が蘊(Khandha)に先行していることである。次の仏語(ブッダの言葉)をよく吟味していただきたい。続
— ブッダラボ Buddha Labo (@BuddhaLabo) 2021年7月14日
「比丘たちよ。五蘊と五取蘊を示そう。五蘊とは如何なるものか。色受想行識を五蘊と称す。
— ブッダラボ Buddha Labo (@BuddhaLabo) 2021年7月14日
五取蘊とはいかなるものか。色受想行識を取るもの。これらを五取蘊という」続
この五蘊について説明するのは、「人」とか「自我」とか呼んでいるものは、分けてしまえばこれら5つの要素だけであって、別のものは何も残らない。各五蘊にしても、互いに依存し合う形で存在していて、独立できないから、五蘊も同様に自我がないということを見せるためである。続
— ブッダラボ Buddha Labo (@BuddhaLabo) 2021年7月14日
要するに、五蘊は無我であることを示す。のちに説明する十二縁起の循環における五蘊の過程を理解すると、この無我たることの意味をはっきりと見ることができる。
— ブッダラボ Buddha Labo (@BuddhaLabo) 2021年7月14日
また、五蘊が相互依存としてしか存在しないと知れば、業(Kamma)の原理がどういうものか正しく理解できる。続
もう1つ、蘊のように一切のものを構成要素に分ける方法で見ることは、思考の訓練になる。あるいは真実を分析する思考をする性格を作る。すなわち、さまざまなものを経験したとき思考が行き詰まらず、外部に固執せず、真実を調べたいという性格を作る。全体を見ること、客観的に見ることができる。続
— ブッダラボ Buddha Labo (@BuddhaLabo) 2021年7月14日
しかしブッダは通常、五蘊だけを説かれることはない。五蘊は諸法無我など自然界の原理と関連して説かれるもので、その価値は実践的である。これから説く仏法を理解する上での方法(ツール)なので、五蘊の説明はこれだけで終わらせていただく。
— ブッダラボ Buddha Labo (@BuddhaLabo) 2021年7月14日
「仏法」ポー・オー・パユットー、野中耕一訳 サンガ
調べたいことがあってこの本を手に取ったら改めて感銘を受けて、6年半ぶりにBuddhism Glossary(英語版仏教用語集)のカテゴリに、この記事を追加しました。
仏教を学問や宗教と捉えずに、真理を追求する「ツール」として実践へ導いたパユットー長老の「仏法」から、
次は上記に出てきた「十二縁起」「業」について、パユットー長老の説法を読みたいと思います。