ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

【サンガ新社オンラインセミナー】アルボムッレ・スマナサーラ長老と『サンユッタニカーヤ』を読む (『サンユッタニカーヤ 女神との対話 第一巻』刊行記念)

先日、『サンユッタニカーヤ 女神との対話 第一巻』刊行記念オンラインセミナーがありました。

 

冒頭は、スマナサーラ長老がなぜ「女神」と訳したのか解説がありました。

これはあるパーリ語専門家から、「女神と訳すべきではないのではないか」という疑問が上がったためだそうです。

 

それを皮切りに、女性の分析に話が展開しました。

その中で、「女性は家族や周りの人の面倒を見るけれども『自分は奴隷ではない』という気持ちがあって、相手に感謝の言葉を求めるのだ」というものがありました。

それを理解しない男性が「家事は女の仕事ではないか」「お茶を出すのは女の仕事でないか」と言ってしまって女性の人権侵害をするのだ、と。

 

奴隷というと、最近見たアニメ「進撃の巨人」の始祖ユミルを思い出しました。

ユミルという奴隷女性は、人類初めて巨人化を成し遂げるという強大なパワーを持ちながら、王の奴隷であり続ける登場人物です。

ユミルと王(のちにユミルは王の娘を三人産む)のシーンは、衝撃的な場面が多い「進撃の巨人」の中でも、特に気持ちがザワザワしました。

 

スマナサーラ長老は、現代も女性が弱い立場に置かれている一番の原因は「女性が反論しないからです」と結論づけていました。

これには一理あると思います。あまり認めたくはないですが。

 

始祖ユミルが王をその巨大な足で踏みつけていたら、どうなっていたのか。

のちに続く悲劇の巨人の歴史はあり得たでしょうか。

足で踏みつけるまでもなく、圧倒的なパワーで王を制するとか、理性ある行動をユミルが取っていたらどうなっていたのか。

 

世の女性が正しく「反論」したら、社会はどうなるのでしょうか。

ロシアとウクライナの戦争は続くのでしょうか。

そもそもロシアの暴挙は起こり得たでしょうか。

 

女性が社会的に力があったら、日本で子供が飢えるということが起こり得るでしょうか。

人々を貧困にさせてまで企業を繁栄させようとするでしょうか。

 

どれも実際にやってみないと結果が確かめられない話ですが、俗世間に留まる私たちは一度考えてみると良いテーマだと思います。

 

 

オンラインセミナーの最後の方で、「一人暮らしで独身の女性」について言及がありました。

一般的に女性は家族を作ってその中に自分自身を閉じ込める、という話がそれ以前に出たので「では独身女性はどうなのですか?」という質問でした。

 

それに対してスマナサーラ長老が、「独り身の女性はジワジワとおかしくなる」という傾向があることをおっしゃっていて、私も周囲の人々との人間関係から頷ける部分がありました。

家族を「飼わない」女性は周りの人々を「飼おうと」する、という話もあり、そう分析すると納得できる出来事が実体験でいくつかあります。

とは言え、既婚でも独身でも本質は同じ「飼いたい」という欲求ですから、いずれの立場の女性も自己を顧みず批判できません。

 

以上、学ぶところがたくさんあったセミナー『「サンユッタニカーヤ」を読む』でした。

サンガ新社さん、こちらも文章化して販売したらいかがですか?