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何年も瞑想しているのに、なぜ結果が無いのか? パティパダー2022年8月号 智慧の扉2

この記事は日本テーラワーダ仏教協会の月刊誌「パティパダー」より転載いたしました。

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パティパダー2022年8月号

智慧の扉2

「何年も瞑想しているのに、なぜ結果が無いのか?」

 

A .スマナサーラ

 

覚った人は、常に今の瞬間にいるのです。

今の瞬間にいるならば、人生はとてもシンプルになります。困ることなど何一つ起こりません。人が困ってしまうのは、次に起き得ることについてあれこれ考えたり、すでに終わったことについてくよくよ考えたりするからです。

 

ちょっと試しに、心を今というこの瞬間から、ほんの少しずらしてみてください。

すると、煩悩が湧き上がってくるのがわかるでしょう。例えば、心を今より先にずらすと「死んだらどうなるか?」という妄想が湧いてきます。死んだら、とは将来のことでしょう。今の瞬間のことではありません。死後のことを考えると、怖さが湧き上がって、煩悩が爆発したような状態になるのです。

 

常に今の瞬間にいる人の精神状態を指すsatisampajaññassa【サティサンパジャンニャッサ】というフレーズがあります。

気づきを絶やさぬまま、心が今にとどまって安定している、という意味です。心は、もうそこから外れてさまようことはありません。なぜなら、そこに深い安らぎがあり、ほかに対象を求めて動き出す煩悩など生まれようもないからです。

 

皆さんは、「瞑想修行をしていても、なかなかそのような精神状態を得られない」と思っているでしょう。

それはなぜなのでしょうか? 簡潔に答えを言うと、自分の心の特徴をチェックしないからです。自分の心を正しく観察しなければ、心を整えることなどできないのは当然のことです。

 

お釈迦様はそれを、悪い料理人に例えました。

王様の食事を作る料理人は調理だけでなく、常に王様のことを観察しておかなければなりません。しかし悪い料理人はただ食事を作るだけで、王様が実際に何を食べたのかなど無頓着です。一方で良い料理人は、王様に「口に合うか」などと訊かずに、王様の食べ方から次の調理法を工夫します。主人の好みや性格を知らなくても料理はできますが、専属料理人の仕事を続けられるかどうかは微妙です。少なくとも良い料理人という評価は得られないでしょう。

 

修行者も同じです。

やり方を習って瞑想をできるようになっても、観察すべき現象を自ら発見しない修行者は期待する結果を得られないのです。

 

上手な修行者が心を観るとき、観察する対象を「自分の心」とは思わないのです。

心を外に取り出したように観察し、「ああ、あるほど、そういうことか」と知ります。Satisampajaññassaの状態で観察する修行者には、「なるほど、そういうことか」という智慧の閃きが生まれるのです。そこではじめて、心を解脱の道へと向かわせることができるのです。

(了)

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パティパダーは送料込みの600円。

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