ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

パティパダー2023年8月号 【智慧の扉】妄想マニピュレーション スマナサーラ長老

 私たちの心の汚れの原因とは何でしょうか? 

色・受・想・行・識【しき・じゅ・そう・ぎょう・しき】の五蘊から楽しみが生まれ、束縛を作ることによって心が汚れます。

では、心を清らかにするチャンスがどこにあるのか? 

それは、五蘊から苦が生まれるときなのです。「一切現象は苦」という真理が、そこにありありと顕れているからです。ところが、一般的に人が苦を感じるときは、過去の楽を思い出して、新たな楽への期待と入れ替えようとします。苦しみをManipulation(操作)します。つまり、苦にたいして妄想という騙し機能を使うことで、現実逃避してやり過ごそうとするのです。

例えば歳をとって体が思うように動かないときは、「今は杖がなければ歩けないけど、昔はマラソンを走ったものだよ」と思って、体への愛着をそのまま保ちます。生きる時間が長く残っている若い人々は、別なことを考えます。「試験に合格したら、将来はいい給料を貰えるだろう」などと、将来を妄想して現在の苦しみを過小評価する。「楽な生き方を夢見て、それを目標に生きる」という細工を認識過程に施すのです。

 

仏教では、そのような状況をひっくるめて、「人は五欲に溺れて生きている」と表現します。しかし、欲に溺れているからといって、楽のみを感じて生きられるわけではありません。時々は楽を感じたとしても、その楽がまた再現される保証ないのです。今年のお正月が楽しかったからといって、来年も楽しいかどうかはわかりません。にもかかわらず、俗世間は妄想で苦を誤魔化すことに明け暮れて、楽ばかりの世界で生きているような幻想に耽っています。「私は楽しい世界で生きているのだ」と思い込むことで、事実に直面して愛着を断つことは不可能になって、そのうえ新たな束縛を増やしてしまうのです。

 

仏教心理学では、苦と楽は正反対の心所です。例えば「痛い」と「気持ちいい」は同時に両立しません。苦を感じるときは苦だけ、楽を感じるときは楽だけです。ありのままに見ないと、苦だけ/楽だけを瞬間ごとに感じることはできないのです。たとえば、歩いていて苦しくなると、「もうすぐ家に着くから」と妄想を入れて乗り切ろうとします。また病気で手術することになったら、「手術したら治るだろう」という気休めで苦を打ち消そうとする場合もあるでしょう。結局、人は大人になっても、「痛いの痛いの飛んでいけ!」と唱えて苦しみをうやむやにするたぐいの、お子様哲学で生きているのです。

 

苦は心を清らかにするチャンスのはずなのに、なぜそれを活かせないのか? 

それは、現実の苦を直視せずに、ひたすら妄想で覆い隠しているからだとお話しました。その結果、私たちは欲や執着を手放せないまま「苦の無限ループ」にっているのです。この悪循環に気づいた人は、妄想の煙幕を払って、眼の前の「苦」を直視します。その時、心の汚れは確実に消え去っていくのです。(了)

 

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