「ブッダが真理を語っていると、どうしてわかるのですか?」
「生きている意味とは何ですか?」
これらの質問は、日ごろ仏道実践されている方にとっては難しいものではないと思います。
スマナサーラ長老の法話の質疑応答でも、しばしば出てくるものですね。
さて、この質問を実際に投げかけたのは、物理学者の大栗博司教授でした。
ご覧になった方もいらっしゃるでしょうか。
おもしろいなと思ったのは、大栗教授は、すでに「ブッダが人生に生きる意味はないと言っていたことを知っていた」*1
にもかかわらず、この番組内で唯識がご専門の仏教学者に「生きる意味は何ですか?」と問いかけている点です。
おそらくブッダの考えではなく、唯識学者の意見を聞きたかったのでしょう。
また、「ブッダが真理を語っていると、どうしてわかるのですか?」という質問ですが、スマナサーラ長老が法話で答えたものがあったかな~と探してみましたが、ちょうどよいのが見当たりませんでした。
もしご存知の方がいましたら、教えていただけるとありがたいです。
わたしも同様の質問を知人から受けたことがありました。
ご興味がありましたら、次のエントリをご覧ください。
「真っ赤なウソ」養老孟司 大正大学出版会【ブックレビュー】 - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory
(上記記事の<追記>はちょっとはっきり言い過ぎですが、そんな時代もあったということで残しておこうかなと)
ここ数か月と、スマナサーラ長老のスッタニパータの経典解説講座がひらかれていますが、質問者と回答者に共通認識がないと核心に迫る回答は得られないということが、わたしにもわかってきました。
つまり、質問者(スッタニパータでは仙人)が修行で獲得した体験から質問が出るので、お釈迦様の回答もそのステージで返されているのです。
ということは、どうしても質問者の体験が基盤になってしまいます。
仏道で実践が不可欠な理由はここにもありました。