ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

個人の悩みは慈悲の瞑想で、人間として達するべき目的にはヴィパッサナー瞑想で

自分の問題を棚に上げて、何に踏ん張っても無意味です【慈悲の瞑想・お試し2週間】より続きます)

慈悲の瞑想で本当にしっかり生きる生き方が身に付きますよ。しかしそんなことできるわけないと思うでしょ? できます。慈しみなら。

 

今、お金がない、ない、と悩んでいるでしょ。

慈しみに心を入れ替えてみてください。ちゃんと自分の人生を生かされている状態になるんです。問題が起きません。人を助けたからご飯を食べられなくなった、とかないんです。

 

慈しみがないんだから、「月々これくらい必要だ」とか「これ何とかならないか」「しばらくご飯食べないんだ」とか苦しんでいますよ。慈しみがあればこういうのが消えるんですよ、見事に。問題は一人ひとり知らないんです、自分にどのくらいお金があればいいのかと。

 

慈しみに任せてください。

ある個人に100万円はどうしても、贅沢も何もかも全部カットしても、見栄の買い物をすることもカットしても、100万円は必要だということだと、だいたい150万はそろいますよ。余裕が残るように、収入があります。

 

誰でも余裕があって生きているわけではないんですね、この世の中で。だからわれわれは、考え方を逆転しなくてはいけないんです。まるっきり違う考え方を。慈しみというそれだけで。

 

それで、慈しみの瞑想はしっかりやってみてください。

これは心の法則ですから、科学なんです。神秘は一かけらもないんです。それで世界の問題は解決します。皆様の人間関係やいろんなことで起こるすべての問題は解決します。すべて良い方向へ行くんです。

 

昨日なんですけど、講演会がありまして、前の日はわたしは休みだったんですけど、何もしなかったんです。

それで今朝、すごい勢いで講演のスライドを作ったんですね。ギリギリで、まだまだ作らなくちゃいけないと、すごい猛スピードで。いろいろ経典調べながら、テーマを組み立てながら、いろいろなことを考えながら、サアッと作って、30分で何とか会場まで行ける、わたしの足なら。*1

 

準備して出かけようと思ったら、土曜日だから、日曜日はゴミ出せないし、ゴミを出して行こうかなと、出かけようとしてゴミ袋を取ったんですね。そこはいろいろと分別しなくてはいけない。ペットボトルのふたも取ったりして、全部分別して、そこでおそらく1分くらいの遅れがあったんですね。それからものすごい早足で、走ってなんとか駅について、OKかと思ったんですけど、2、3秒足らなかったんです。ホームに着いた瞬間で、電車が行ってしまったんです。それが急行電車で、そのあと6分後に次の電車でそれは各駅停車だから、10か所くらい止まるんですね。

 

そのあと、ホールに予定時間に遅れて着きましたが、わたしの講演スタートにはまだ時間がありました。もっと遅れてもよかったなと。なぜかというと、プロジェクタがいかれていたんです。プロジェクタが直るまで待って、それから講演を始めました。

 

遅れたことでわたしが失敗したでしょうか。

「まあ、あんた、今日はちょっとのんびりいきなさい」と。会場の方でちょっとトラブっているんだから」という感じなんですよ。だから別に不幸なことになっていないんです。

 

なんでいつもこんなバカなことをやっているのかと、自分を責めますけど、後から見てみると、うまくいっているんだと。そういうことになります。

 

自分にとっていいように物事は回転するんです。そういうことが慈悲の瞑想で達しますので、そこで問題を解決したことにしてください。

 

ヴィパッサナー瞑想の場合は智慧を開発するために、俗世間の目的よりは智慧を開発するために頑張ってみてください。

智慧を開発すると、皆様が困っている煩悩も執着も悪いところもきれいさっぱりなくなっていくんです。

 

慈悲の瞑想をしたといっても、執着がかなりなくなったということはもしかすると、ないかも。欲もきれいさっぱり消えた、ということは、もしかすると起こるかも、もしかすると起こらないかも。ちょっとはっきりしないんです。

 

ヴィパッサナー瞑想ははっきりします。執着も欲も消えます。

 

だから両方を頑張ってみてください。

皆様の問題、人間が考えている問題は一つ残らず解決していって、幸福な生き方が現れてきます。それも何の苦労もなく自然に起こるようになります。いわゆる自然な流れ。

 

穏やかで、いつでも落ち着いて、焦ることは何もなく、いつでもニコニコ気分で、しっかりと生きていられます。

 

そういうことだから、瞑想二つはちゃんと分けて、個人の悩み問題は、慈悲の瞑想で直します。

人間として知るべきことは、達するべき目的には、ヴィパッサナー瞑想で達します。ヴィパッサナー瞑想は、はるかに高いレベルの瞑想なんです。

 

ヴィパッサナー瞑想をやりたいんだけど、個人的に問題があるという場合は、慈悲の瞑想で解決して下さい。

「瞑想はしたいんだけど、うちの家内がうるさくて、うるさくて……。そんなこと言っちゃうと殺されるかもしれませんよ。困っているんだ」というのは個人的な悩みでしょう。それは慈悲の瞑想をすれば消えます。それからヴィパッサナー瞑想、ということにしなくてはいけないんです。

 

それで、どんな個人にも問題あるんですよ。問題がないっていうことはない。それは様々、ムチャクチャ、バラバラですよ。個人の問題というのは。それは何のことなくかないますよ、希望というのは。そこで慈悲の、ヴィパッサナー瞑想をしてみると、自分が希望した程度ではないんですよ、かなうのは。そこまでもうまくいかなくてもいいんじゃないかなと思っていたんだよと、思うくらい見事にいくんですよ。

 

100パーセントかなう世界じゃないんです。希望は150パーセント、200、300パーセントでうまくいく場合もあります。

 

だからそういうところは、あまり気にしないでおいて、とりあえず自分がやる世界だから自分を改良するんだということで、慈悲の瞑想をしてみます。

 

ハイ、そういうところで頑張ってみてください。

初めて瞑想する方には、隣の部屋で瞑想指導いたします。

(おわり)

 

(関西定例瞑想会 2008.01.27 スマナサーラ長老説法

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/494188.html 音声ファイル:上よりメモしました)

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*1:スマナサーラ長老は歩くのがすごく速いです。2011年1月にわたしが初めて冥想指導を受けた後、帰路に向かったとき、歩いて帰っていく長老を見かけました。歩道を豪速で歩いていて、競歩の選手みたいでした。