質問「慈悲の瞑想のときの『幸せ』とは何ですか?」
回答(スマナサーラ長老)
単語を追っちゃうと、だいたいその問題は起こりますよ。
「幸せ」ってなんですかね?
わたしから見ても、何の意味もない単語なんです。
この幸せは、「優しさ」にしたらどうですかね?
思いやり、優しさ。
すべての生命にすごく優しい態度を取る。
生命もたいがい優しくしてほしい。それが幸せっていうことになるんですね。
自分のことも恨んだり憎しんだりしないで、自分に対しても優しく、他の生命に対しても優しい態度を取ります。生命も互いに優しくした方がよろしい。
慈経でお釈迦様はそこらへんを明確に説かれていますね。人は人を欺いてはならない、とかね。生命は生命を軽視してはいけません、とかね。
そういうふうに慈悲の瞑想を持って行っちゃうんですね。優しさなんですね。生命は生命を否定してほしくない、見下してほしくない。
生命は生命を侮辱したり、怒ったり、馬鹿にしたりしない方がいい。
母親が自分の一人の子供を守るような気持ちで、お互いに大事にした方がいい、というお釈迦様の慈経の翻訳を読んでみてください。
「生きとし生けるものが幸せでありますように」と二回出ます。二回目から瞑想なんです。
そこを読んでみると、「幸せでありますように」の意味なんですね。
わたしたちは辞書を引いたりしても、一般的には「幸せって?」と分からなくなっちゃいますよ、おっしゃるとおり。そういう俗世間の考えではないんです。
気持ちの問題。生命は生命に対する気持ちです。
(関西月例冥想会 2015.3.8
https://www.youtube.com/watch?v=RYXeW3eH01w 1:06:45~1:12:00 よりメモしました)
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