ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

ひとり息子が出家したいと言っています(前編)

質問

「ひとり息子が出家をしたいと言っているんですけど、どうしたらいいですか?」

 

 回答(スマナサーラ長老)

(笑)

ふぅ。それはねぇ……。

ずうっと言っていますかね? ずっとその気持ちでいるんですか?

 

質問者「そうみたいです」

 

今頃ですね(春の季節)、わたしたちにもかなり連絡が入ります。「出家したい!」と。(春の)時期が終わったらなくなるんです(笑)

 

今では協会も慣れていて、もうそろそろ、インターネットにも変なことを書く連中がでるでしょう、とかね。電話が来るでしょうと、準備しているんです。一部は無視するし、一部は時間をあげるんですね。「もう二か月間くらい考えてください」と。そうすると音沙汰なく消えるんです。

 

また次の年になって、春の時期が来ると、また頭がいかれちゃって(そういうのが出てきます)。なんでしょうね。可笑しいんですけどね。ずっと季節がある国で生まれて大きくなったでしょうに。わたしなんかは頭がいかれてもしょうがないんです。わたしの国では一年中夏でしょう。でもそういう、季節の変わり目に頭がいかれることは全然ないんです。

 

だから話し合ってみたらね。普通に生活することで、何か悪いことがありますか? 出家してあなたは何を期待するのか? とか。

短所も長所も知っているのか? 在家にも出家にもそれぞれの長所と短所があるんだから、あんた全部しっかりと考えたんでしょうか? と。

人生にはプランがいくつかないとね。「これでいくぞ」とうまくいかない場合は、ほかのプランが必要なんですね。人生にはプランA、B、Cくらいあったほうがいいんです。うまくいかなかったら、じゃあプランBにしましょう、と。

 

出家もそれぞれ宗教・宗派によって変わるしね。で、日本の社会っていうのは差別があり過ぎで、われわれには受け皿ができてないし、経済的な力がないんだから、人を扱うと大変なことになりますけど。で、日本の伝統的なお寺があるでしょう。そちらで出家したら、極まりない差別に合いますね。だから寺の息子じゃなきゃダメと言うことになっているんですね。ときどき寺の息子じゃない人も出家しますね。やっぱり、いろいろ、なんですね。それからこんなはずではなかったといってもね。だからしっかりと調べるべきなんですね。

 

その中でわたしが言いたいのは、やっぱり、欲が少なく生まれる人間もいます。

過去の業もありますからね。わたしも何人も見たんですけど、世の中のことを何も知らない抱っこされた一歳くらいの子供ですけど、わたしのことを見てなんのこともなく合掌したりする。だからこれは、お母さんが教えたわけでもなく、お父さんが教えたわけでもなく、普通の家でしょう。お寺の子どもだったら、まだわかりますけど。まだ自分が生きている世界は知らない。お父さんとお母さんの顔しか知らない。また行儀正しいこと。これにびっくりするんですね。ただの子供の遊びじゃなくて、しっかりやるんですね。

これをどう考えればいいんですかね。やっぱり過去世の経験なんですよ。だから、そういう人々にとっては、普通の人間が歩まない道を歩めるようにとしてあげるのが、一番親切な行為だと思いますけどね。

 

また、最初からこの世の中で欲にしがみついて、戦って、怒りで憎しみで欲で、なんとしても金を儲けて結婚して、と誰でもやってることですけどね。戦わなくってもね。

それに初めから、小さいときから興味がない人々はいるんです。

 

子供のころはどうでしたか? 何か気づかなかった?

 

質問者「気づかなかったというか……。真面目な子でした」

 

ものの価値観とか、そういうのをお母さんが知ってほしいんですね。小さいときはおもちゃを誰かにとられると怒ったんでしょうか、それとも、自分のおもちゃを強引にでも誰かに遊んでくださいと、渡したとか。

 

質問者「そういうことはなかったです」

 

子供のころの価値観が大事なんですね。それはお母さん以外誰も、知ることはできません。

小さいときから、やっぱり、性格が違うなぁとわかったら、これを壊すのは難しいしね。それでも安心して生きていられるように、なんとか手配してあげるしかないんですね。

 

出家にしたっても、結構才能が必要なんですからね(笑) 

(受け入れ先が)日常の面倒をみてあげることができれば、才能がなくても修行すればいいんですけどね。日本では無理ですね。タイ・ミャンマーだったら、托鉢して、でっかいお寺があるし、どこかに寝て修行すればいいんです。才能ある人々は、もう、仏教のためになにか貢献しますが、そういう才能がない人にとっても安心して修行できるような仏教環境ができているんですね。出家したらみんな一緒だから、勝手なことはできないし、悪いこともできないし。あれじゃない、これじゃないと悩んだりする必要はないし、托鉢に出れば必要な食べ物をもらうし、こころが結構落ち着いてくると、成長していくと、ほかの必要なものも、信者さんがお布施をするし。それで自分が修行すればいい。修行しなかったら、落ちる・帰る羽目になるんです。

 

日本では、托鉢もできないんだからね。大変ですね、仏教環境には。そう簡単には変わらないんですね。禅寺とかは托鉢しますが、いわゆる普通の托鉢はできないんですね。一つの儀式として、決まっている時期に、決まっている日に行う、一つのお祭りになっちゃうんですね。それは托鉢とは言えないんですね。托鉢は修行の一環としていくんであって、それで生きているということはまるっきりないんです。今日は街に出て托鉢をする、と決めているんだから修行です。修行で行って、回って、さっさと帰ってくるだけで。何かもらいたいという気持ちを持ったこともないんです。

 

だから、そうやって変わってしまいますね、社会が変わると。禅寺でも、昔の仏教であったような托鉢で得たもので自分が生きていて、それから座禅に頑張るということがあったならばよかったんですけど、社会は変わりますね。

 

テーラワーダ仏教で考える場合は、一番楽なのはこの托鉢という伝統が復活すればね。イギリスで出家した人々はそれなりに頑張ってはいるんですね。何とかシステムを作ろうと。知識にはオープンな国だから、日本よりはかなりやりやすいことはやりやすいんです。

わたしにしても、西洋で活動したらこんなもんでは終わらないと思いますけどね。日本は国が鎖国だけじゃなくて知識も鎖国ですから、オープンにならないんですね。

何かしゃべると、頭にもう一つ鍵を作っていくというね。狭くなる一方の文化ですからね。難しいんですね。

それ以上はわたしは言いませんだけどね。

ひとり息子が出家したいと言っています(中編)に続きます) 

 

関西定例冥想会 2010.04.04

http://www.voiceblog.jp/sandarepo/1100348.html よりメモしました。

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