(脳とこころ(前編)から続きます)
わたしは正しい答えを出しただけで、質問に答えるには難しいところがあるんです。ちょっと、かなり大変な時間をかけて説明しなくちゃならなくなるんです。
だからこういうことですね。物質はあると言ってもわれわれの勝手な幻覚・妄想で、物質がバラバラになるということは客観的なデータから推測するもので、われわれは経験していない、結局は。質問にあった「物質はバラバラになって壊れていくでしょう」ということは、頭で推測するもので経験したものではないんです。
それで、こころはどうやって輪廻転生するのかという疑問も現れてくる。だから、経験していない推測から次の推測へいくから答えが成り立たないんです。当然です。物質がバラバラになって壊れていくものなら、こころも同じなんです。物質を認識するこころもバラバラになって壊れていくんです。
お釈迦様はもっと大胆に言うんですよ。あなた方は物質が・肉体があると思ってもマシだと。こころなんかあると思うなよ、と。一秒でどれくらい変わるのか。肉体なんかは百年もつ場合もあるんだよと。こころはほんの瞬間で変わる。そこまで大胆に経典では説かれていますよ。なのに、わたしたちはどうやってこころが輪廻転生するのかい、とかね、どうやってわたしがいるのかいとかね、あまりにも遅れているんです。だからと言って実体論は間違いなんです。極端なんです。そこで何かわかってくれない?
モノは存在しないんだけど、無常で変化するプロセスがあるんですね。こころは存在しないんだけど、物質を認識しまくるプロセスがあるんです。これは終わりなく、プロセスがある。日本語なら過程です。過程だから、あるという必要がないでしょう。物質はバラバラになって壊れるんだけど、物質は無常だから、ある現象が別な現象に変化する、それが別の現象に変化する、また別の現象に変化する。それを因果法則という。
紙がどのように変化するのかというのも因果法則です。必ず灰になるんだと決められませんでしょう? それはその紙が置かれている状況によって変化していくんです。その紙が外に捨てられたら、雨にぬれたりしてバラバラになって土に戻ったりする。どこかにおいてい置いたら酸化してそれなりに壊れたりする。火をつけたらすぐ燃えちゃって灰になって分解して燃えちゃう。空気に触れないように何か特別な方法で保管しておくと三百年でももつということになります。でも、変化は変化します。
そういうことで、勝手には変わりませんね。因果法則によってさまざまな現象になる。変化は同じスピードで起きているんです。だからそれはプロセスなんです。プロセスで見ると、物質には物質の変化過程があり、物質を認識するこころにはこころの変化過程がある。こころがあるというのも成り立たないし、こころがないというのも成り立たないし、物質があるというのも成り立たないし、物質がないというのも成り立たない。成り立つのは、過程・プロセス。
プロセスで考えると、間違った言葉を使って言うならば、人が死んじゃっても仕方がないよと、これもプロセスが続くよということになるんです。だから、冥想で認識するシステムを変えようとしているんです。
原始脳が勘違いしているんですね。細胞から現象が入っちゃうと、肉体をマッピングする(地図を作る)ので脳の中で左の小指はどこで、左の薬指はどこで管理しましょうかと、勝手にきめ細かく仕事を決めちゃって、体を管理している。もし、左手を管理している脳の部分が壊れちゃうと、左手は存在しなくなってしまうんです。変ですけどね。使えなくなっちゃう。
それで、脳幹(原始脳)のほうが、体があると仮定して推測して、それが本物だと思って体の管理をしている。幻覚が本物だと誤解しなきゃ存在が成り立たない。昔の子供達に道徳を教えることは簡単ですからね。嘘つくとハリセンボン、といわれると、「嘘をついたら舌に針を千本刺される。嫌だ!」と嘘をつかなくなるんです。幻覚でしょう?
幻覚を起こさない今の人間ほど、嘘をつかないんです。「わたしは正直だ」と言ったとたん、その人ほどのうそつきはいない。なぜならば、現代知識では針千本を刺されると思っている人はいません。閻魔様に舌を抜かれると思っている人はいません。
嘘をつくのが悪いならば、現代人には仏教の話をしなくてはいけない。「なんであなたは嘘をつくのか? あなたの自我でしょう。自分だけ良ければいいと思っているでしょう」と。見てみなさい、自分だけで生きていられないんだ。結局は無数の生命で自分の命が成り立っているだけでしょう。だから裏切るなよと。
そういうふうに言うと、迷信もなく、理性に基づいて、嘘をつくことない人間にはなれる。二千六百年前に説かれた話ですからね、なかなか理解してもらえなかったんです。仏教も観音様を拝む話に変わってしまったんです。幻覚もいいところでしょう。不動産を信仰するわ、お地蔵さんを信仰するわ、それで仏教だと言っているんです。なんの縁もないんですけど。
超能力は信じるわ、神は信じるわ、それっていうのはね、生きることは無常で大変だということを否定したいんです。脳にしたら、自分がいるという錯覚が本物であった方が管理できるでしょう? だから、脳自体が錯覚を作って肉体を管理しています。
そういうところは、神経科学の本を読んでみるとね。できるだけ最新なものを読んでほしいんですね。2010年以降に発表したものとか。古い本はあまり役に立たないです。
そういうわけで結論として、物質はバラバラになって壊れていく。それには過程がある。同時にこころもバラバラになって、いますでに壊れているんです。物質よりはるかに早く。しかし、壊れていく過程があるんです。
それだけです。だから俗世間に向かって輪廻転生があるといえますね。自我がないのに。自我があったら輪廻転生は成り立ちません。自我がないのに、なんで輪廻転生があるのかと質問を受けたことは結構ありますよ。それは、幻覚が欲しいという意味なんです。今も肉体はそういう幻覚で生きていますから。
(脳とこころ(後編) に続きます)
東京法話と実践会 2015.12.13
http://www.ustream.tv/recorded/79709203(期間限定公開動画)14:00~1:05:00