(長生きしたい(3) から続きます)
細胞は、遺伝子・アミノ酸・塩基が組み合わさった、物質的な形であり、入れ物ですね。それがあらわれたとき、業がやっているんだから、そのプログラムが見えてくるんです。単細胞には生きづらいんですね。誰かと組んだ方がどうですかと。これでちょっとうまくいく。わたしたちの体というのは、そういう細胞たちが入って組織を作っちゃったんです。
調べてみれば、皮膚の細胞や骨の細胞はもともとどんな細胞でしたか、となんとなくわかるものみたいです。一人では生きていられませんからね。そこでなんか、変な脳細胞が入り込んだ。脳細胞がほかの細胞と違うところは、いつでも線を引くんですね、自分から。いつでも自分が線を引く細胞たちがいるんですよ、単細胞の世界でも。単細胞だけどちゃんと動いている。いつでも剣みたいなものを持っていて、それをぐるっと回転させたりして。たくさん持っています。
そういう連中が、組合に入って、「わたしは線をいっぱいつなげて、ほかの細胞たちを管理してあげます」と。ネットワークですね。そうすると、人の細胞も、ちゃんと連絡できていますけどね。足の裏の細胞がちょっと悪くなると、ちゃんと連絡して、「よくしなさい」と。
たとえば、足が痛くてどうしようもない。足の細胞には何もできませんね。そこでSOSを送る。すると大脳で考えて、それだったら手やらいろんなものを動かして、足の問題を何とかしてあげる。
人間が四十兆の細胞組織で、人間というシステムがあらわれたんだから。これは人間という一個の生命ではないんです。システムです。それでかなり生き延びていますよ、この世の中。津波でも地震でも死なないように、何とか生き延びている。ヒマラヤの頂上でも、なんとか生き延びている。あそこは人間に生きられる場所じゃないでしょう。やっぱり脳細胞を持っているんだからね。集合になって、力になる。これは業にある法則なんです。物質であらわれているのは。
ひとりで、何かやりたいんだけど、できないことも、二人になったらできる。ということで、道ですね。Unity is power. ということになっちゃうんですね。Unitはパワーじゃないんです。Unity。Unitがあつまったところで、Unityというんですね。Unionとかあるでしょう。労働組合とか、組合ですね。組合は、一人一人が集まって、一個として働く。それは結局、業の法則なんです。
それは世間を見てもみえてくる。体を調べてもみえる。進化を勉強してみると、ちゃんとみえてくる。
ということで、われわれは業を変えたければ、そう簡単に単純じゃないということですね。
長生きして病気を治したい人は、他の生命を助けなさい、なんです。仏教的な教えは。自分がちょっと病弱。そんなのは自分一人ではどうにもならない。それは措いておいて、ほかの人々を助けてあげたり、ほかの病気の人々とかね。グループを作っちゃう。ときどきいるでしょう、何か自分が病気で、そのグループを作っちゃう。何か組合を作って、こういう問題は地球からなくしましょう、と。やがて、その人はその病気で悩んでいないことになるんですね。治っている。でも、自分の病気を治すために始めたわけじゃないんです。
「こんな病気で、困っちゃったね、わたしは生きたかったのに」と。でも、「わたしだけじゃないんだ、この問題で悩んでいるのは。まだ被害者がいるんだ。じゃあみんなでなんとか、撲滅運動でもやろうじゃないか」と思ったとたん、見事な業のファンクションで 、その活動家の病気が治っているんです。だから世の中で、その動きはいとも簡単に見えるんです。
ということで、できるだけ、執着を捨てる方に頑張りましょう。そうすると、ほとんどの問題は消えてしまいます。子供のことで悩むこともなくなります。
われわれは心配しても、生きていきたいという気持ちがすごいんだから、それほどひどいことにはならないんです。そこで、生命、存在欲を間違って使う、破壊的に使う子供を持つ場合、最初に諦めるのは母親なんです。おもしろいんです、それは。勝手にしなさい、と追い出すんです。ですから、そんなに大きい問題じゃないんです。追い出されたら、長生きはできません。本来、その人の存在欲が破壊的にいっているんですね。そうでない生命は、何とか頑張っています。それで母親がやらせてあげないというね、執着が生まれる。
わが子のことを放っておいたからと言って、わが子が不幸になるということは、九十五パーセントあり得ないですね。わたしからするともっと高い確率です。まあ、一パーセントくらいダメになったということはあり得る。それは、無視されるときなんです。無視されるというのは慈しみではないでしょう。それは慈しみではないんです。正反対です。生命を無視することができる?
おそろしいでしょう。
それは勘違いしないでください。執着を捨てることは無視することじゃないんです。慈しむことなんです。みんなで幸せにいきましょう、と。「俺だけ」「うちの子供だけ」じゃないんだと。たとえば、子供が不良に走った、というケースを調べたら、原因は両親から無視されちゃったんですね。愛情が足りなかった、というのはそう言う意味で言っているんですね。
愛情があって悪くなるほうがたくさんありますから、この場合は情がよくない。愛ではなくて慈しみなんですね。
(おわり)
最初から読む:長生きしたい(1)
関西定例冥想会 2015.12.20
https://www.youtube.com/watch?v=wweFviyFqdk35:00~より聞いて書きました。