ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

感情や痛みの感覚を、どういうふうに実況中継したらいいのかわからなくなってしまいました

質問

「ヴィパッサナーを実生活で応用したいと思っています。

たとえば、料理をしているときや掃除をしているときに動作を実況中継していますが、体の動きはいいのですが、こころの中の感情や、『ここが痛い』などの感覚が出てきてしまって、これをどういうふうに実況中継したらいいのかわからなくなってしまいました」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

なるほど。

 

わたしはやりやすい順番と、バカみたいにシンプルな説明をするんだけど、これは人間の知識を超えている世界なんですよ。

だからそこは、言語の壁を破って進まないとわからないんです。

 

思考の壁を破って行かないと。

 

そこで、わたしが説明するのは、なんとか進むようにしているだけなんですよ。

掃除、洗濯、そういう日常の動作を実況中継でやってください、と教えています。そうやっていくと、ドンドン精神的に落ち着いてきて、さらに、さらに、できるようになります。

 

それで、体の感覚の場合でも、痛みが出たら、「痛い!」ではなくて、「痛みがあるんだ」とかね。

そういうふうに思うと、病気の痛みであれば早く治るし、なんのことないんですよ。

 

わたしも何か月前かに手術されちゃってね、生で。

麻酔がきかなかったんですよ、ほとんど。

一番外側の皮膚だけは感覚がなかったんですけど、ほかは全部ジリジリと、耐え難い苦しみで。

それで何のことはなく、痛みは痛みとしてみて、冗談なんかも考えながらね。

 

「なんでこんなことに。痛い!」とかはないんです。

お医者さんも言いました、「痛かったら言ってください」と。しかし、言ったっても意味がないしね。

たまには何か言わなければマズいなというときは、「これはちょこっと痛かった」と。

「ちょこっと」どころではないんですよ。

 

そこで自分ではすごく気分よく、気持ちよく終わった。

今日は地獄の苦しみを味わったのに、気分的にはニコニコと。

 

それは、「痛み」という立場で、ジーッとこれを観察していたからですよ。

手術の後は歩いて自分の部屋に行きましたし、そういうふうに何のこともないんです。

 

痛みはありますよ。

あるんだけど、歩いたりいろんなことをやったりできました。

 

たとえば、病気になったりする場合は、いきなり興奮しちゃうと、死の恐怖感が出て来て「どうしようか」と。

それで病気がなおさら苦しくなって精神的にもいかれちゃって。

 

だから「痛み」とか「かゆみ」と観て、自分のものじゃない感じで、その現実だけ観察すると、いかに楽かとわかりますよ。

 

それから考え方なんですけど、怒ったり落ち込んだり暗くなったりする場合は、それは早く断ち切らなくちゃいけないんです。

思考は危ないんです。感覚よりも。

 

日常ヴィパッサナーで自分のこころを観て、「なんか暗いんじゃないか、このこころは」と気づいたら、なんとか気分を変える。本を読んだりとかジョギングしたりとか、なんとかして。

暗い状況を破らなくては。それだけは続けてはいけません。

 

嫉妬が出たら、「これは気持ち悪い、カットするぞ」と、別な思考で入れ替える。

怒りが出たら、「これはマズい」と、それはすぐ切るんです。

 

そういうふうに日常生活でやってみましょう。

 

最初は、掃除洗濯など、動作からヴィパッサナーを始めます。

 

ヴィパッサナーとは、ありのままに観察することです。

しかし、『思考・妄想だけは』、ありのままに放っておいたらとんでもないことになります。

 

悪感情をカットすることは、日常ヴィパッサナーをする人にはできるようになります。

ずいぶん楽に。

(終わり)

 

《東京法話会2007.03.22 上座仏教教室(千駄ヶ谷区民会館)

https://www.youtube.com/watch?v=jq6H1YxNqQ4

を聞いて書きました》

 

 

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