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Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

「死に方入門」初期仏教 月例講演会 スマナサーラ長老

「死に方入門」というスマナサーラ長老の法話を聴きました。

 

こんなお話が耳に残りました

ヴィパッサナーを日頃からしている人は、死の直前になっても、ほとんど自動的にヴィパッサナーによる観察に入っていく。

だから、普段から怠らないで、クセになるまで実践を積み重ねておくのがよい。

 スマナサーラ長老談 法話めもより)

 

 なるほど…… 普段やり慣れておくことが大切なんですね。

 

死ぬのは仕方ないけど、痛いのがコワイ問題

 

死ぬのは仕方ないとしても、痛いのは嫌だ、というのはいろいろな人からよく聞きます。わたしも同感です。

 

それについて長老は、

「体が壊れるときに痛いのは自然です」とおっしゃってから、

「ただ、いよいよ死ぬ際にこころが体から離れたら、痛みは感じないでしょう」というふうに語られました。*1

 

ポックリ逝くのも苦しんで逝くのも、直前までの人生の結果という要素が強いようです。

もし苦しんで逝くことになっても、ひたすらヴィパッサナー(観察)で痛みを分離することが重要なのだと思います。

 

死にまつわる疑問点を網羅

ほかには、認知症のこと、孤独死安楽死、余命宣告のこと、などなど、事前に寄せられた質問に答えるかたちで、長老からの回答がありました。

 

死にまつわる問題について、大部分のモヤモヤが晴れたのではないかと思います。わたしもだいぶスッキリしました。

 

今回の動画は現在公開中なので、気になる方はチェックしてみてください。

日本テーラワーダ仏教協会 - スマナサーラ長老の初期仏教月例講演会『死に方入門』(一橋講堂)のライブ動画を公開しています。

 

まとめ

 

死に方=生き方。

智慧を開発し、真理を発見することで、他の役に立つ生き方をする。慈しみあふれるこころで生きるならば、それが見事な生き方。

つまり、それが見事な死に方と言える。

そういう方は微笑んで死を迎えられます。 

(法話めもより)

 

こちらの本を読んでから今回の法話を聞きました。「死に方入門」の理解が深まると思うので、おすすめです。

 

*1:これは確かにそうかも、と思う出来事が身近でありました。そのときの記録がこちらです。

父が倒れる。そして臨死体験か - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory