ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

餓鬼道に堕ちないための終活とは

 人生の終わりを迎えるための「終活(しゅうかつ)」を始める際に、まず確認しておくことがあります。

あと一年後か二年後かわかりませんが、自分がどう頑張っても死ぬのだという事実を直視するのです。そして死ぬのならば、清らかな心で死ななければいけないのだと決意する必要があります。死の準備とは心を清らかにすることで、お墓の準備ではありません。

 

 「お墓をどうしよう」とか「お骨をどこに納めよう」と思い悩むのは、生に対する執着からくるものです。

富士山が見える場所で永眠したいと思ってお墓を買って、死んだあと遺骨をそのお墓に入れたところで、その人に富士山が見えますか。なぜ死んでからのことまで執着を持つのでしょうか。自分が大事に思っているものでも全てを捨てて死にゆくのだと、いつでも念じていなければいけません。「これは死んで持っていけるものではない」「あれも死後持っていけるものではない」と常に頭においておく方が良いのです。

 

 例えば自分には膨大な額のお金が銀行口座にあるとしましょう。

しかし、息を吸って吐いている間だけ、そのお金は自分のものなのです。あるとき息が止まった瞬間で、その所有権も終わります。それ以降は何の権限もありません。残されたお金は、本当のところは周囲の人々に迷惑をかけるものです。まず銀行からお金を引き出すのに手間がかかり、相続税も払わなければいけません。相続人たちが遺産の取り分で揉めて裁判を起こしたり、殺し合いにまで発展したりすることもあります。そのようにお金に限らず所有物というものは、人々に苦しみしか与えません。体も自分の所有物ですが、体が苦しみ以外に何かを与えてくれるでしょうか。

 

 清らかな心で死のうではないかと、今まで各方面にお世話になってきたのだから、感謝の気持ちを表して死のうではないかと、そういう動機で終活するのは確かに良いことです。

自分の財産を恵まれない子供たちに贈るとか、ひとり親家庭を支援するために使うなど、そのような終活をする人々は少なくとも餓鬼道には堕ちません。あるいは最期に道徳を守ったり、戒律を守ったり、慈悲の瞑想を実践したりと、心をきれいにする終活を行うべきです。

(了)

 

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この記事はスマナサーラ長老の法話、

餓鬼道に落ちないための「終活」入門|スマナサーラ長老の切り抜き法話

https://youtu.be/CHP92BahDnQ

より書きました。