ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

パティパダー2023年4月号 智慧の扉 「I am looking for nothing」

 人間だけではなく全ての生命は何かを探し求めています。

私たち個人個人も、自分の心の中をよく見れば、自分が何か探しているとわかるはずです。「私は大切なものを探している」という状況です。「その大切なものとは何?」と聞かれると「えっ?」となって答えられないのです。探しものが何かと分からなければ、際限なく探すはめになってしまいます。それが人々の人生であり、生命の生き方です。

 

お釈迦様は「あなた方は探しものが何なのかも分からないのに、ずっと探し続けている。そういう生き方は苦しいのだ」とおっしゃいました。

そして「涅槃とは究極の安楽である」と説きました。お釈迦様はなぜ「安楽」という言葉を使ったのでしょうか? 一般的に私たちは「一番大切なもの」を求めて走るわ、走るわ、大変疲れ切って安らぎがありません。そこでお釈迦様の説かれたやり方で涅槃に達したら、この上のない安らぎを感じるのです。その安らぎに至った人は探し物を求めて走り回りません。消耗するばかりで結果のない「宝物探し」から離脱できたのだから、安楽というほかありません。

 

それにしても、なぜ私たちは何かを探しているのでしょうか? 

どうしてそんなことをしているのでしょうか? その問題を突き詰めればちゃんと答えが出てきます。その答えが腑に落ちると安楽に達するのです。「何も探さなくてもよかったではないか」とわかる

のです。I am looking for something. から、I am looking for nothing. と意識が変わります。

そこで私たちは心から落ち着くことができるのです。

 

俗世間なら何か探していた方が明るくて活発ということになります。「I am looking for

nothing.」なんて、つまらない人だと思われるでしょう。

投げやりで暗い性格に感じますね。しかし出世間では違います。Aneka jāti saṃsāraṃ sandhāvissaṃ anibbisaṃ (無数の生涯にわたり、あてどなく輪廻をさまよってきた)と「Paṭhama udāna歓喜の言葉」でお釈迦様がおっしゃっています。私たちは、ただ走るプログラムを入れたロボットみたいに、とにかく走って、倒れても足だけは動いている状態です。こんな状態で生きるのは大変なのだ、ということをお釈迦様が「苦」と表現しました。

 

走り続けるプログラムが入っていると、「病気になってはならない」「歳を取ってはならない」「死んではならない」と、そのプログラムを妨害する出来事を忌避しようと頑張るのです。お釈迦様は、闇雲に走り続けようとするプログラムの仕組みを見つけたのだと発表しました。そして私たちが苦しみから抜け出して安楽になる方法を全て明らかにしたのです。

(了)

 

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