ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

仏道修行と仕事 「近代の労働観」今村仁司著を読んで 

1988年に発行された『仕事』今村仁司著(弘文堂)が 

「仕事」今村仁司著 講談社学術文庫

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という文庫になった。「古代ギリシアにおいて多忙は倫理的悪であり、中世の修道士にとって労働とは神から課された罰であった。しかし近代になると、労働の価値に大逆転が生じる。」という衝撃的な「労働観」が注目されている。

 

この「仕事」ではないのだが、同著者の「近代の労働観」岩波新書

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を読んだ。「仕事」の10年後に書かれた本である。

 

それで「近代の労働観」では、

「労働は確かに必要だが、人間の本質ではない」

と言っている。

それなのになぜ、近代になって「仕事こそが人生」というような価値の転換が起こってしまったのか。それは、

「承認欲求」、

つまり人間の虚栄心が労働と結びついたというのだ。

「労働と成果に応じた」承認は、格差と差異化を正当化する。

 

さらに人間の物質欲も労働の価値を押し上げた。

「ひたすら利益を求める経済的生産の膨張、絶えず支配を拡大していく政治、これら全ての領域の増殖力の究極の源泉は近代的な勤勉労働であり、人間の生活は全て勤勉労働を軸にして働いている。」と本書で分析されている。

 

今の「労働文明」の中では、労働以外の時間が削られる。余暇が削られる。

本が読めなくなる。人と会えなくなる。家族と話せなくなる。

食事時間を削る。睡眠時間を削る。

 

それでは、労働に侵食されない自由時間が持てたら人間は何をするのだろうか?

本書の著者が言うような「生きる意味への探究」をするだろうか。

一般的に人間は貪瞋痴で生きているのだが、暇な時間ができたら貪瞋痴をさらに追求する方向へ向かわないだろうか、という疑問は残った。

 

仏道を歩みたい人にとって瞑想合宿への参加は重要だが、ハードルが高いものだろう。

その合宿期間の数日から2週間程度の休みを取ることは、日本の労働環境ではなかなか簡単ではない。

外で働く仕事だけに限らず、家事もあるのに、子供たちの世話もあるのに瞑想合宿に行くなんて、と躊躇している人もいるかもしれない。私もかつてはそうだった。

しかし本当にそうだろうか。

「休めるわけがない」「家をあけられるわけがない」というのは、もしかして「労働至上主義」的な思い込みも入っているかも知れない。「万障繰り合わせの上」、なんとか参加できないか、本気で調整してみると意外に休みが取れてしまうというケースもある。

まず本人が、自分の持つ価値観をもう一度見直すことが鍵となる。

 

それでも合宿に行くことが叶わなかったとしても、自分の価値基準を変えたことは事実として残る。

労働の価値の「再」逆転を試みたという実績が、のちに日々の小さな選択の一つ一つに影響力を持ってくるのだ。

本書はその後押しをしてくれる。

(了)

 

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