ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

仏道はトレーニング-戒律(4)

自己破壊のOS-戒律(3) - 瞑想してみる より続きます。

 

戒律にあるのは、「殺生するなかれ」。本来は、なんでも潰したいんですよ。正直な気持ちはそれ。嫌なものは潰したいし、楽しみのために殺してみたいんですね。なんのトレーニングもしていない人は、脳のプログラム通りにやっちゃいます。

 

だからわたしたちは、見えるものは信頼できません。聞こえる音も、信頼できません。音が耳に触れるんだけど、脳の中で聴覚と言う幻を作るんです。それは信頼できません。目にデータが触れるんだけど、脳の中で、なにか視覚を作る。それは幻想なんです。本物は見えません。

 

プログラムできているんです。「あなたは、こういうふうに作ってください。こういう信号が入ったらこんなふうな音と感じてください」と。本当にありのままに見るためには、この間違ったプログラムを、トレーニングをして直さないといけないんです。

 

そういうことでわたしたちは、「嘘をつきなさい」と、「機嫌が悪くなったら人を侮辱しなさい、いじめなさい」と、それでもへっちゃらだ、というふうにできているんです。こころがそういうふうに言っているんです。

 

勉強が嫌になってきても、我慢して勉強する。先生が「なんで宿題を忘れたんだ」と怒鳴っても、「すみません」と謝る。それがトレーニングなんですね。子供は頑張っている。

 

このトレーニングが必要だと仏教では言います。それはバッヂではないんです。

 

トレーニングを捨てたらどうなるのか。仏教と言うのは、スタートからゴールまでトレーニング一色です。

 

しかし嫌ですね、トレーニングは。なんか嫌な気分ですね。宿題するのも、塾へ行って学ぶのも、なんか嫌でしょうしね。稽古事もなんか好きじゃないし、きついし。だからと言ってどうしますかね。お母さんから、ピアノを練習しなさいと言われたら、文句言いながらも練習しなくちゃいけないですね。

 

何か練習したくない気分がある。それはわれわれの脳が、不幸になるようにできているんです。やってはいけないことをやるように、やるべきことは絶対やるなよ、と。それはちゃんとお釈迦様がわかっていて、あえて「仏道はトレーニングである」とおっしゃっています。

人格が変わる-戒律(5)に続きます)

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